福岡大空襲「忘れない」 福岡市で追悼式

西日本新聞 夕刊

 米軍の爆撃により、福岡市で2000人以上の死傷者、行方不明者を出した福岡大空襲(1945年)から19日で74年、慰霊塔のある同市博多区の冷泉公園で「市戦災引揚死没者追悼式」があった。遺族26人を含む約370人が参列し、福博の街が焦土と化した記憶をかみしめた。 

 市社会福祉協議会主催で、元号が「令和」になって初の開催。参列者は黙とうをささげて献花台に白菊を手向け、犠牲者をしのんだ。有志による市民合唱団が福岡大空襲をテーマにした混声曲「焦土に涙す」を追悼式では初めて披露した。

 高島宗一郎市長は「魅力と活気あふれる街が尊い犠牲の上に成り立っていることを胸に刻み、世界平和と繁栄にしっかり力を尽くしてまいります」と述べた。8歳の時に被災した安武悌二郎さん(82)は遺族代表として「悲惨な光景や家族が奪われた悲しみは、何年たっても忘れることができない」と語った。

 被害が大きかった奈良屋地区にある博多小の6年生約130人も参加。澄川愛実さん(12)は「世界中から戦争をなくすために努力し、大好きな博多の町を大切にしていきたい」と、平和を願う作文を朗読した。

【福岡大空襲】福岡市史などによると、1945年6月19日午後11時すぎから約2時間、221機の米軍B29爆撃機が福岡市に焼夷弾を投下した。被災戸数は1万2693戸。死者902人、負傷者1078人、行方不明者は244人に上った。当時の奈良屋、大浜、冷泉、大名、簀子の5校区に被害が集中した。冷泉公園の中央にある慰霊塔は65年に完成。画家伊藤研之による壁画には、うずくまる女性や倒れた子どもたちなど、10人の裸像が刻まれている。

※現代の視点で福岡大空襲を再編集した紙面(2015年作成)は、こちらからご覧いただけます。

福岡県の天気予報

PR

福岡 アクセスランキング

PR

注目のテーマ