火の海、令和に語り継ぐ 福岡大空襲から74年

西日本新聞 ふくおか都市圏版

福岡市の戦争遺跡を巡るフィールドワークに参加した白石佳奈さん 拡大

福岡市の戦争遺跡を巡るフィールドワークに参加した白石佳奈さん

空襲で焼け野原になった福岡市街地

 「祖父を含め、知っとる人が大勢亡くなった。それが忘れられない」

 19日、福岡市博多区の冷泉公園で開かれた「市戦災引揚死没者追悼式」で、前田幸三さん(86)は声を詰まらせながらも真っすぐに献花台を見つめた。

 年齢を重ねるごとに体は言うことを聞かなくなってきた。それでも毎年欠かさず、自宅のある須恵町から電車とバスを乗り継いで追悼式に出席している。

 「あの日」の記憶は鮮明だ。74年前の19日夜、焼夷(しょうい)弾が降り注ぐ中、目の見えない父の手を引き、兄と弟と一緒に旧奈良屋国民学校(現博多小)近くの自宅から飛び出した。

 周りは火の海。どこへ逃げたら良いのか‐。迷った末、天神方面へ向かった。家族は無事だったが、行く道のあちこちで多くの知人の遺体を目にした。

 「戦争の記憶を風化させてはならない」。だが、そこに年月の壁が立ちはだかる。市社会福祉協議会によると、追悼式への遺族の出席はこの10年で半減。早くに家族を亡くした前田さんは、何十年も1人で式に出席している。「以前は追悼式で友人と会えていたが、今は会えていない」とつぶやく。

 昭和から平成を経て令和へと元号は変わり、若者の戦争に対する意識も変わったのだろうか。30代の国会議員が戦争による北方領土奪還に言及したことには、耳を疑った。「二度と悲劇を繰り返してはいけない。それなのに…」。焦りにも似た思いは募る。

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 空襲で176人が亡くなったとされる同市中央区簀子(すのこ)地区にある簀子公民館では体験者の証言を映像に残す活動に取り組んでいる。昨年、遠藤和子館長(74)らが中心になって約20人を取材した。今年は地域行事などで使いやすいように、さらに集約して30分の映像にした。5月からは新たに、証言を基にした朗読劇の練習にも励んでおり、地元の小学生や住民らが出演する。「戦争の実態をより感じることができるはず」と遠藤館長は信じる。

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 福岡大1年の白石佳奈さん(18)=同市西区=は今月、福岡大空襲の傷痕をたどる市民団体主催のフィールドワークに初参加した。

 大空襲のことは小学校の平和学習で学んだが、記憶は薄れており「故郷をもっと学びたい」と申し込んだ。「歴史に興味のある同年代の仲間ができれば」と期待したが、自分以外は年配者だった。

 空襲を逃れるため地下室に逃げ込んだ63人が熱死した旧十五銀行福岡支店跡(同市博多区)を訪ねた。現在博多座がある場所だ。繁華街に被害が集中したことを再認識し、改めて驚いた。「あまりに様変わりしている」

 空襲について知らない友人も多い。「インターネットなど新たな情報ツールもある。一番発信力のある私たちの世代がもっと関心を持って、昔、何が起こったのかを知ることが大切です」と白石さん。それが令和の時代を生きる若者の使命と思っている。 

【ワードBOX】福岡大空襲

 福岡市史などによると、1945年6月19日午後11時すぎから約2時間、221機の米軍B29爆撃機が福岡市に焼夷(しょうい)弾を投下した。被災戸数は1万2693戸。死者902人、負傷者1078人、行方不明者は244人に上った。当時の奈良屋、大浜、冷泉、大名、簀子の5校区に被害が集中した。

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