熊本出身の小川信子が米国に旅立ったのは1910年のこと…

西日本新聞 オピニオン面

 熊本出身の小川信子が米国に旅立ったのは1910年のこと。地元の女学校で裁縫を学んだ小川は卒業後に上京し、最新の洋裁技術を勉強するために渡米を決意した

▼鹿鳴館で花開いた洋装文化だが、一般の服装はまだ和装がほとんどだった。裁縫の教育も和裁が中心で、本格的な洋裁を学ぶ機会は乏しかった

▼米国には既に多くの日本人が移住していたが、小川が海を渡った頃は、日本からの移民に対する排斥運動が高まっていた。日系人女性の間では反感を買わないよう、目立つ和服を洋服に代える動きが広がっていた

▼だが、米国人でも洋服は家庭で縫うのが主流の時代。和裁しか習っていない日系人は困った。既製服も売ってはいたが、高価な上、小柄な日本人女性の体形に合う服は少なかった

▼シカゴで洋裁の技術を習得した小川は、日系人の多いロサンゼルスに移り、日系女性のための裁縫学校で洋裁を教えた。生活に必要な洋裁を日本語で学べる学校は女性たちの助けになった。覚えた洋裁で生活の糧を得ることもできた。26年に帰国した小川は東京に学校を開設し、洋裁の普及に貢献した

▼18日は「海外移住の日」だった。08年のこの日、集団移住者を乗せた笠戸丸がブラジルに到着したことにちなむ。その後、第2次大戦前に約77万人、戦後約26万人が海外に移住した。苦難の多い移民の歴史の中に小川のような女性がいたことも知ってほしい。

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