サリエリが着た濡れ衣 上別府 保慶

西日本新聞 オピニオン面

 1791年、モーツァルトが「レクイエム」を作曲中に死去した時、地元ウィーンの新聞は毒殺説を書き立てた。犯人は宮廷楽長のサリエリではないかと、うわさが流れ飛び、彼は1825年に世を去るまで、さいなまれた。

 モーツァルトの死から100年ほどたち、ロシアの作家プーシキンはこの毒殺説を戯曲に書いた。才能をねたんでの犯行というストーリーは後の芸術家を刺激し、20世紀には舞台や映画の「アマデウス」が世界的な当たりを取った。歴史家はサリエリ犯行説を否定してきたが、動機を人間の嫉妬に置くミステリーは、いつの世も受けるのである。

 4月に和訳が出た本「世にも危険な医療の世界史」(文芸春秋刊)には、このサリエリ犯行説を根元から刈り取る見立てが出てくる。著者は、米国の内科医リディア・ケインと、図書館司書の文筆家ネイト・ピーダーセン。モーツァルトの寿命を縮めたのは、実は治療に当たった医師たちだったと推理するのだ。

 モーツァルトの時代の欧米では、古代エジプトに起源がある治療法「瀉血(しゃけつ)」が広く信頼されていた。体内の有害物や不要物を、腕などから血液とともに排出して健康を回復するという考え方だ。

 体調を崩して寝込んでいたモーツァルトは、この瀉血で死ぬ前の1週間に2リットルの血液を抜かれたという。義妹のゾフィー・ハイベルは「医師が義兄に瀉血を行って頭に冷湿布を貼ると、義兄は見るからに力尽きて気を失い、その後意識を取り戻すことはありませんでした」と話している。

 瀉血が感染症に効かないことは、19世紀になって細菌学者のパスツールやコッホが証明した。それまでは床屋が医者に代わって瀉血をした時代もあり、ごく普通の健康法だった。今の理髪店にもある赤、青、白の回転ポールは、血と静脈と止血帯を表す当時の名残とされ、クイズ番組でしばしば出題されている。

 この本は、梅毒患者を水銀の蒸し風呂に入れたり、泣きやまない子供にアヘンを与えたりしてきた、さまざまな医療過誤の歴史を振り返る。瀉血の犠牲となった疑いのある人物には、英国の詩人バイロンや、米国大統領を引退後に風邪をひいて瀉血を施されたワシントンなどを挙げる。

 もしモーツァルトが医師にかからなければ、名曲「レクイエム」を自力で完成し、サリエリが濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着ることもなかった可能性がある。

 瀉血は、世界史を大きくゆがめてきたのかもしれないのだ。私たちの今の健康は、医療がたどった曲折の歩みの上にある。 (編集委員)

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