沖縄慰霊の日 戦争の悲惨風化させるな

西日本新聞 オピニオン面

 きょう6月23日は沖縄県の「慰霊の日」である。太平洋戦争末期の沖縄戦で組織的戦闘が終結したこの日にちなんで、糸満市の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が執り行われる。

 当時の軍部は、沖縄戦を本土決戦の態勢を整えるための時間稼ぎと位置付け、徹底した持久戦を採用した。このため、沖縄県民は3カ月に及ぶ地上戦に巻き込まれ「鉄の暴風」と呼ばれる砲撃と爆撃にさらされた。

 沖縄戦での死者は全体で20万人超とされるが、このうち沖縄県出身者は12万人に上る。当時の県民の4人に1人が亡くなったともいわれる苛烈(かれつ)さだった。

 沖縄戦の体験者はしばしば、自分たちが戦場で直面したものを「地獄」と表現する。そしてその体験を語り継ぐことが、日本が再び道を誤って戦争へと突き進むことを防ぐための、最も大事な方法だと考えてきた。

 しかし、今年の5月、日本社会の「戦争の風化」を印象付ける出来事があった。丸山穂高衆院議員による「戦争で取り戻す」発言だ。丸山氏は北方領土の元島民に「戦争しないとどうしようもなくないですか」と発言した。まるで戦争を「容易に取り得る政策的選択肢」と位置付けるような物言いである。

 当時丸山氏は、北方領土だけでなく沖縄問題も所管する衆院沖縄北方特別委員会の委員だった。丸山氏が真面目に沖縄戦の歴史を学び、普通の住民が戦場でどれだけ悲惨な目に遭ったか知っていれば、このような軽い言葉が出ただろうか。

 「沖縄戦の風化」は本土だけではない。2年前の9月、沖縄戦で住民が集団自決に追い込まれた読谷村の自然壕(ごう)「チビチリガマ」で、地元の少年4人が内部にあった遺品のつぼや千羽鶴を壊す事件が起きた。

 逮捕された少年らは「肝試し感覚だった」「歴史的な意味を知らなかった」などと供述し、沖縄の年配者に衝撃を与えた。

 「慰霊の日」の式典では毎年、小中高校生による「平和メッセージ」が朗読される。今年読まれるのは、小学6年生が作った詩「本当の幸せ」だ。その詩には、こんな一節がある。

 緑あふれる大地/この大地は/どんな声を聞いたのだろうか/けたたましい爆音/泣き叫ぶ幼子/兵士の声や銃声が入り乱れた戦場/そんな沖縄を聞いたのだろうか

 戦争の記憶が濃かった昭和は遠ざかり、時代は平成、そして令和へと移った。その中で、どのようにして戦争体験を受け継いでいくか。この詩のように、一人一人が過去からの声に耳を傾け、真摯(しんし)に想像力を巡らすしかない。令和最初の「慰霊の日」をそのきっかけとしたい。

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