渋沢栄一「鉄の街」発展に貢献 新1万円紙幣の顔 安川氏と懇意

西日本新聞 北九州版

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九州工業大に残る渋沢栄一の書。右から「訥於言敏於行」と読む

渋沢栄一(国立国会図書館ウェブサイトより)

 「新1万円札の顔」は、北九州とも深いつながりがあった‐。明治時代に活躍した実業家の渋沢栄一(1840~1931)は、港湾や鉄道会社の大株主として、「鉄の街」北九州の発展に大きく関与していた。炭鉱経営で財をなし、安川電機や九州工業大を設立した安川敬一郎(1849~1934)と懇意だったため、市内には渋沢の足跡も残っている。

 「訥於言敏於行」。九州工業大(戸畑区)に保管されている渋沢の書だ。「君子は多くを語るより、敏速に行動するもの」を意味する「論語」の一節から引いている。

 大学に残る記録では、1914年6月5日、渋沢は前身の明治専門学校を訪問。設立者でもある安川の求めに応じ、揮毫(きごう)したとみられている。著名な来校者が署名を残す「芳名録」にも、同日付で渋沢の名前が確認できる。渋沢の肖像が新紙幣に採用されると決まった後、同大は学内の百周年中村記念館で公開を始めた。市民も見学できる。

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 渋沢が関わった北九州の企業は多い。市立自然史・歴史博物館の日比野利信学芸員(近現代史)によると、門司港の船だまりを整備した門司築港会社(1888年設立)、洞海湾のしゅんせつ事業を進めた若松築港会社(89年設立)、現JR鹿児島線の九州鉄道(88年設立)、現JR筑豊線の筑豊興業鉄道(89年設立)‐などの大株主として資金協力した。

 筑豊の石炭を運ぶこれらのインフラを背景に、1901年には官営八幡製鉄所が操業を開始。以後、北九州は国内随一の工業都市として歩みを進める。

 日比野学芸員は「渋沢のような中央資本にとって、安川は地方の魅力的な事業の、有力な実施主体」と指摘。半面「安川からすれば、渋沢との関係を築くことで、資金不足を克服し、円滑に事業が実施できる」というメリットがあり「両者の連携が北九州の発展を可能にした」と見る。加えて不況時には社債の購入を引き受けたり、経営紛争の調停に一役買ったりしている。「金を出すだけ」の存在ではなかったようだ。

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 安川は東京を訪れた際、しばしば渋沢と面会している。日本各地で企業の設立に関わり「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢だが「他の地域と比べて、北九州とのつながりは厚いように感じる」と日比野学芸員は語る。

 渋沢が九工大に残した「論語」由来の書。一橋家の家臣だった渋沢は、現在まで読まれている「論語と算盤(そろばん)」を著し、旧福岡藩士の安川は郷土史会の会報で「論語漫筆」という連載を持っていた。士族出身で、論語を重視‐。境遇や考え方の共通点も、2人の密接な関係に影響していたのかもしれない。

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