伊藤保の短歌を今に 岩田 直仁

西日本新聞 オピニオン面

 歌人の岡井隆さんが戦後の名歌を編んだ「現代百人一首」(1995年)で、ひときわ壮絶で悲しい光を放つのは伊藤保の歌だろう。

 伊藤は13年、大分生まれ。ハンセン病を発症し、19歳で熊本の九州療養所(現菊池恵楓園)に送られた。

 第1歌集の冒頭、「輸送列車にて」という頭注を添えた<一度(ひとたび)は世に出づることのあらむかもわれ商(あきなひ)の書(ふみ)手放さず>が置かれている。続いて、「隔離室にて一夜」の注をはさみ、<おもむろに夜は明けゆきて阿蘇山にのぼる煙をみればしづけき>。隔絶された生活は、こうして始まった。

 施設内で入所者と結婚。妻は2度身ごもったが、いずれも堕胎させられている。

 第1子は研究のためにホルマリン保存されたのだろう、<響(とよも)して地震(ない)すぐるとき標本壜に嬰児ら揺るるなかの亡き吾子>という歌が残る。

 2人目の子が堕ろされたのは51年。<吾子を堕ろしし妻のかなしき胎盤を埋めむときて極りて嘗(な)む>。多くの読者に衝撃を与え、「現代百人一首」に採られた歌である。

 直後、伊藤は不妊(断種)手術を受けている。<わが精子つひにいづべき管(くだ)閉ぢき麻酔さめ震ふ体ささへて帰る>。戦前から横行していたハンセン病患者に対する不妊手術は、48年施行の「優生保護法」で合法化されていた。

 50歳で死去するまで、伊藤は歌を手放すことはなかった。その生涯は、大分の作家、松下竜一さん(故人)の著書「檜(ひ)の山のうたびと」(74年)に詳しく描かれている。

 96年、ハンセン病患者を強制隔離してきた「らい予防法」が廃止され、優生保護法は強制不妊の条文などを削除して「母体保護法」に改められた。しかし、被害者の深い傷はうずき続ける。

 熊本地裁では、この28日、ハンセン病元患者らの家族が国に謝罪と損害賠償を求めた訴訟の判決が出る。

 旧優生保護法下の不妊手術については、長い間、実態の解明すら放置されてきた。急ごしらえの救済法が今国会で成立したが、補償内容は乏しく、各地で国家賠償請求訴訟が続いている。

 「檜の山」をはじめ、不妊手術の事実を知る機会はいくらもあった。なぜ、私たちは長年、甚大な被害に目を向けなかったのか。自戒を込めて問い続けたいと思う。

 松下さんは生前、「檜の山」について「病への偏見のせいか、私の本では一番売れなかった作品ですが、すごく愛着がある」と語っていた。随筆に、こうも書いている。「自作ながら、この本を美しいと思っている」 (論説委員)

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