「強い心で戦争しない国に」 戦中の体験、児童に語る 佐世保

西日本新聞 長崎・佐世保版

 佐世保空襲を語り継ぐ会の西敏子さん(84)が28日、佐世保市黒髪町の黒髪小の児童に、家族から伝え聞いた佐世保空襲や戦時中の生活を語った。佐世保市では74年前のこの日、米軍の空襲で1200人以上が犠牲になった。

 西さんが小佐世保国民学校へ入学すると、血液型や名前を書いた防空ずきん、大豆を入れた救急袋を持って生活するようになった。学童疎開の話が出ると、体が弱かった西さんは佐賀の親戚宅へ預けられた。

 1945年6月28日の深夜。佐世保で、大きな音とともに空襲が始まった。母は姉と弟を防空壕(ぼうくうごう)へ避難させた。空から焼夷弾(しょういだん)が雨のように降ってきた。

 西さんの目に佐世保の方角の空は、うっすら赤く、夕焼けのように見えた。叔父に「佐世保は全滅」と言われ、ご飯が喉を通らなかった。4日後、佐賀に来た母の姿をよく覚えている。「髪はぼさぼさ、顔は真っ黒。もんぺもくさかった。でも気にならなかった。とにかくうれしかった」

 「そういうことが日本のあちこちであった。戦後すぐは食べ物がなかったけれど、もう逃げなくていい。それでよかった」。立ったまま45分間語った西さんは「戦争をするかしないかは人の心です。悲しい惨めなつらい戦争をしない国を、強い心でつくって」と呼び掛けた。

 6年の西浦真生さん(11)は「今では考えられないことが昔は当たり前にあった。胸が締め付けられる思いで聞いた」と話した。

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