フォーク編<427>村下孝蔵(9)

西日本新聞 夕刊

 村下孝蔵が初めてレコードを出すのは広島時代の1973年である。自主制作のEPレコード「ひとりぼっちの雨の中」だ。プレスしたのはわずか300枚で、今となっては希少盤になっている。発売元は「熊本 SUZUYA」、プロデューサーは「中垣朱視」と記されている。

 「私が資金を出しました。村下さんが『ミュージシャンになりたい』というので、それならレコードを出そう、という話になったんです。ジャケットのイラストは友人に頼みました」

 熊本市の中垣明美はレコード化のいきさつをこのように語った。「SUZUYA」は中垣が熊本県・阿蘇で開いていたレコード店で、村下が熊本市の鎮西高校時代、阿蘇にあった実家に帰った折、よく出入りしていた。その後も村下と中垣は交流を続けていた。

 〈雨のふる街角で 一人 だれを待つのだろう 傘にかくれたあの人は どんな人だろう なんとなく声かけて 話してみたい…〉

 手書きの歌詞にはコードも添えられている。この曲は、B面の「街」と合わせて2001年のアルバム「純情可憐」に収録されている。

   ×    ×

 村下はミュージシャンを志していたが、それで食べていくことはできない。広島時代、いくつかの仕事をしている。ラジオのパーソナリティーに、ホテルのラウンジでの弾き語り、ピアノの調律師…。広島のタレント、西田篤史は言った。

 「絶対音感の持ち主だったので、調律師もできたし、ホテルの弾き語りはプロとしての勉強になったのではないか」

 酔客の多いラウンジでは自作の曲より、お客さんのリクエストに応えなくてはいけない。伴奏だけの場面も少なくなかった。フォークなどニューミュージックだけでなく、演歌もこなさなくてはいけない。

 「村下兄ちゃんは即座にお客のキーに合わせてギターを弾いていました」

 夜、この仕事を終えて、それからさらに、広島市内のライブハウスに行って歌ったりした。西田は「本当に歌が好きなんだな」と思った。

 吉田拓郎が中心になってスタートした広島フォーク村は一時、活動を中止していたが、再結成された。2期フォーク村に村下も参加した。26歳の1979年に、自主制作アルバム「それぞれの風」を発表した。プロデビューに向けての雌伏の時代だった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

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