こんなところに沖ノ島(5)近づかず守る人々の思い

西日本新聞 ふくおか版

 福岡市にも江戸時代、沖ノ島を望む遥拝所があったという。古代から大陸との交流ルートにあった島は、祈りの対象というだけでなく国防の要衝という側面もあった。

 福岡市中央区の西公園。福岡藩の遥拝所があり、藩主が訪れた記録も残る。中央展望広場から正面に平らな相島(新宮町)、そして海の中道が横たわる。沖ノ島はその先にあり、江戸時代でも島全体は見えなかったのではなかろうか。

 鎖国下の沖ノ島に福岡藩は番所を置き足軽を交代で常駐させた。「沖嶋詰方(つめかた)」と呼ばれるこの役目は異国船を見張ることが主眼だった。城下町の魚町(現在の中央区大手門、赤坂、舞鶴の一部)にも関連施設があった。沖ノ島警備に向かう足軽たちが渡島前に清めをする場所だったとみられる。詰方が沖ノ島に滞在中は、その家族も清めをする決まりがあったそうだ。

 沖ノ島には他の番所とは違う心得があった。島で見聞きしたことをもらさない「不言島(いわずじま)」のおきて。国境の島で見聞きした機密をもらさぬように…。「不言島」にはそんな意味もあったのかもしれない。

     ◇

 岡垣町に近い宗像市鐘崎の国民宿舎「ひびき」のエレベーターに「本日沖ノ島が姿をみせております」の札があった。戸波真也社長(47)は「島が見えるとお客さんたちは大喜びなんです」と声を弾ませた。

 昭和の終わりごろ、当時社長だった父の一昌さん(79)は宿泊した東京都内のホテルで「ここから富士山見えます」の表示を見た。「思いがけないものが見えると、宿の売りになる」と早速、国民宿舎でも始めた。当時は世界遺産になるとは考えもしなかった。2002年、テレビ番組で沖ノ島に渡ったエジプト考古学者の吉村作治さんが「あれは世界遺産にした方がいいよ」と、真也さんら地元の若者に助言した。登録活動の始まりだった。

 入島できないどころか、見聞きしたことを他言してはならない島。「世界遺産にやら、せんでよか」という根強い反対の声もあったが、まちづくりを探る若者たちが中心になり観光協会や自治体、市民を巻き込んで活動を広げた。

 世界遺産登録から2年。「行って見ることのできない沖ノ島の価値をどう伝えるか、知恵を出し合うとき」と真也さんは考える。だからこそ、あえて近づかず遠くから見つめてきた人々の思いをたどることがヒントになるかもしれない。 =おわり

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