【在日ウイグル族は今】(上)離郷 圧政逃れ 残した家族は

西日本新聞 国際面

 中国新疆ウイグル自治区で2009年に起きた少数民族、ウイグル族の「ウルムチ暴動」から5日で10年。中国政府の厳しい抑圧から逃れ、日本に渡ったウイグル族の人たちは家族の安否すら分からず、不安な日々を過ごしている。民族の危機に焦燥する在日ウイグル族の今を報告する。

 「あのとき、自分に向けられた彼らの目が忘れられない」。徳島大大学院に留学中のサウティ・モハメドさん(41)は、10年前の恐怖をこう振り返る。

 2009年7月5日、サウティさんはウイグル族による大規模な暴動の現場から、約20キロ離れた姉夫婦の家にいた。翌日、近くの工事現場で漢族の住民に鉄パイプが次々と配られているのを見た。街中ですれ違う漢族たちが恐ろしい目でにらみつける。報復が迫っていると感じた。

 暴動後、国営鉄道の技師だったサウティさんの職場の空気も一変した。約100人の同僚の大半は漢族。「共産党は正しい」「ウイグル族は強い政策で支配すべきだ」「文化も経済も遅れているんだから、黙って従え」。露骨な悪口を初めて面と向かって浴びた。

 サウティさんは民族の誇りを保ったまま、ウイグル族と漢族は仲良くできると思っていた。実際、漢族の友人もいた。その考えが音を立てて崩れた。「もうここにはいられない」。出国の準備を始め、7年後に留学生として来日した。

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 関東地方で難民申請中のアブドラヘマン・ハサンさん(43)は、パキスタン国境に近いカシュガルで貿易商を営んでいた。一家は裕福で、自治区政府とも親密な関係を築き、政府幹部と一緒に国外へ出張することもしばしばだった。

 異変を感じ始めたのは16年ごろ。チベット自治区で分離・独立運動を封じ込めた人物がウイグル自治区のトップに就任すると、宗教行為のほか、ウイグル族に特徴的なひげやスカーフなどへの禁制が強化された。

 大量拘束が始まったのもこの頃。初めは宗教指導者らが対象となり、次第に会社経営者や海外渡航経験者に拡大していった。

 17年1月、アブドラヘマンさんの自宅近くを当局者がうろつき始めた。監視を振り切るため、短期間のつもりで隣国キルギスへ渡ると、通信アプリに登録していた家族や友人の連絡先が突然、削除された。地元の若手経営者約70人が一斉に拘束され、その中には兄もいた。「帰ったら私も捕まる」。帰国を諦め、6月にトルコへ逃れた。

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 母と妻が連行されたと知ったのは、その2カ月後だった。電話で連絡してきた弟は行き先を「中国語の教育施設」と話したが、それきり帰ってこなかった。「だまされて強制収容所に送られたんだ」。アブドラヘマンさんは悔やむ。

 2人が収容された施設の様子が伝わってきた。70歳の母は朝から晩まで鉄の椅子に座らされ、身動きすれば食事を抜かれる。朝夕の食事は饅頭(まんとう)1個、昼は薄いおかゆ。妻は便所のない部屋に押し込まれ、ふん尿はその場で垂れ流しだという。

 トルコ政府に協力を求めても、動いてくれない。悩んだ末、報道機関の取材に訴えた。「こんなひどい虐待を受けるのなら死んだ方がまし。解放しないなら母と妻を銃殺してくれ。弾丸の費用は私が払う」

 アブドラヘマンさんは昨年末、望みを託して日本に来た。日本政府ならウイグル族の現状を変えてくれるのでは、と思ったからだ。「私の人生と家族はめちゃくちゃになってしまった。長男と長女はどこにいるのか。せめて子どもだけでも無事でいてほしい」 (江藤俊哉)

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