いつ、何のため?北九州に“謎のビル” 調査で浮かんだ数奇な歴史

西日本新聞 社会面

8月に解体、撤去が予定されている廃ビル。正面が旧棟、右側奥に側面が見える建物が建て増しされた本館=北九州市八幡東区西本町 拡大

8月に解体、撤去が予定されている廃ビル。正面が旧棟、右側奥に側面が見える建物が建て増しされた本館=北九州市八幡東区西本町

1946年4月、空襲によって焼け野原となった市街地を撮影した写真。中央の黒っぽい建物が、現在の北九州市八幡東区西本町に残るビル

 八幡製鉄所の「企業城下町」として発展した北九州市八幡東区西本町に、戦前に建設されたユニークなデザインの廃ビルがある。戦後は職業訓練を施す「八幡総合授産所」として使われたが、もともとは何のビルで、いつ建てられたのか、住民の記憶からも消えていた。8月に解体、撤去される見通しとなり、地元の郷土史家たちが調査すると、「謎のビル」の数奇な歴史が浮かび上がってきた。

 ビルは鉄骨造りの3階建て。「モダニズム建築とアールデコの趣を今に残す。歴史の奥行きを感じさせるビルだ」。西日本工業大建築学科の水野貴博准教授(建築史)は評価する。ビルを図面で記録保存しようと、5月から学生と測量している。「斬新な建築物。地域の財産として記録を残したい」

 老朽化していることから、現在所有する北九州市は解体を決めた。合併前の旧八幡市から引き継いだ経緯もあり、詳細については把握していない。ビルを長く不思議に思っていた郷土史家の前薗広幸さん(67)が約3年かけて調べた。

 実は、ビルは1966年に「旧棟」に「本館」が建て増しされていた。本館には授産所が2002年まで、市営住宅が最近まで入居していた。

 分からないのは旧棟。デザインは30年代ごろを思わせるが、八幡の市街地は、終戦直前に約2500人が死傷した八幡大空襲で多くの建物が失われた。市街地を写した46年の写真を見ると、一面の焼け跡にぽつんと立つビルがあった。

 土地台帳を調べると、所有権は何度も移転していた。さかのぼっていくと「八幡市」「八幡製鐵」「中本呉服店」とあった。34年発行の書籍に、ビルが「建築途中」という広告が出ているのが見つかり、旧棟はそのころに建設されたことが分かった。ビルがある西本町は製鉄所「南門」から延びる通りに位置し、玉屋デパートや高田屋という百貨店もあった。独特のデザインについて、水野准教授は「目立つための競争の結果だろう。鉄都の豊かさを示すものだ」と説明する。

 八幡製鐵に所有権が移ったのは43年。前年に衣料品の配給化が始まっており、中本呉服店はやむなく廃業したのだろうか。一方、八幡製鐵は当時、徴兵による人手不足で各地から労働者を集めており、社宅用に近辺の建物を購入していた。

 45年には空襲で全焼した八幡税務署の仮庁舎となり、八幡市がビルを買い取った54年、授産所となった。終戦後、傷痍(しょうい)軍人や戦争で夫を亡くした女性の支援を目的に、各地に授産所ができた。その一つであり、八幡市勢概況(55年度版)によると、ミシンや刺しゅうなどの作業に1666人が従事していたという。

 ビルは戦前の鉄都の繁栄、戦争、戦後の復興と変わりゆく街を見守ってきた。そして令和に姿を消す。

 前薗さんは語る。「廃ビルは、街の繁栄や戦争の証人だった。八幡の数奇な歴史を、記憶にとどめてほしい」

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