子どもだった大人へ 江田 一久

西日本新聞 オピニオン面

 「詩のはじまりは、神さまへのおいのりだった」

 最近、この言葉に出合って「なるほど、そうかもしれない」とうれしくなった。神さまに近いのは、きっと、大人よりも子ども。時には真っすぐに、時には遠慮がちに、自分なりの神さまを信じて、お願いすることができる。

 本紙朝刊の子ども向け紙面「もの知りこどもタイムズ」の中にある、「詩の芽」というコーナー(毎月第2、第4水曜掲載)を読んでいただいているだろうか。子どもたちが家族や友だちなどのことをつづった詩を紹介している。

 ちょうど、きょう10日付のテーマは「七夕」。北九州市の小3の男子は、織女の星と牽牛(けんぎゅう)の星が1年に1度だけ会えるという伝説を知って、こう書いた。

 <会えたときのうれしさは/とても大きいあまの川/きらきら光るうれしさだ。>

 また、福岡市の小5の女子は<わたしの願い事には限りがない>と正直に明かした上で、最後をこう締めくくっている。

 <でもやっぱり一番は/おじいちゃんの病気治るといいな>

 そもそも「詩」って何だろう。気になって辞書を引くと「心に感じたことを、一定のひびきをもったことばでリズムをもたせて表した文」(旺文社標準国語辞典)などとある。確かにそうだが、もっと味のある説明はないか。探していたら、詩人茨木のり子さん(1926~2006)が残した次の文章に出合った。

 「言葉が離陸の瞬間を持っていないものは、詩とはいえません。(中略)重装備でじりじり地を這(は)い、登山するのが散文なら、地を蹴り宙を飛行するのが詩ともいえます」(岩波ジュニア新書「詩のこころを読む」)

 この文章を読んで、私の頭の中には、宮崎駿監督のアニメ映画「となりのトトロ」や「天空の城ラピュタ」などで子どもたちが楽しげに空を飛ぶシーンが思い浮かんだ。

 フランスの飛行機乗りで作家だったサンテグジュペリ(1900~1944)は、世界中の人々に愛読されている童話「星の王子さま」の序文に、こう書いている。

 「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」

 私も、そう思う。だから、ささやかなコーナー「詩の芽」を、ぜひ大人たちにも読んでもらいたい。誰もが子どもの頃には持っていたのに、次第にすり減らし、忘れてしまった夢や優しさを、きっと思い出すことができるから。

 (こどもタイムズ編集長)

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