暗闇の名護屋城跡探検 8月3日、体験ツアー 照らして、触って、歴史体感

西日本新聞 佐賀版

城跡に残る石垣について解説する安永浩さん(左)と飯田周恵さん 拡大

城跡に残る石垣について解説する安永浩さん(左)と飯田周恵さん

「文禄・慶長の役」で活躍した朝鮮水軍の「亀甲船」(右)と日本水軍の「安宅船」の模型 本丸に向かう途中に見つけたくさび痕がついた石 名護屋城と周辺を再現したジオラマ。建物の位置関係や全体像が分かる

 豊臣秀吉が朝鮮出兵(1592~98)の拠点として築いた名護屋城。その関連史料を展示している県立名護屋城博物館(唐津市鎮西町)で、8月3日に「ナイトミュージアム」が開かれる。夜の館内や城跡を探検できると聞き、取材を兼ねて特別に事前体験をしてみた。

 辺りが薄暗くなり始めた午後7時ごろ、城跡近くの同館に到着。館内に入ると案内役の学芸員、安永浩さん(43)と飯田周恵さん(25)が待っていた。昼間に来たことはあるが夜は初めて。渡された懐中電灯を手にさっそく出発した。

 まず向かったのは展示室。扉を開けると、静かな暗闇が広がり、胸が高鳴る。「明るいときには気付かなかったことに気付くことがありますよ」と安永さん。

 ゆっくり歩きながら周囲を照らしていると、名護屋城とその周辺を再現したジオラマが見えた。近づくと一つ一つの建物から影が生まれ、立体感が際立つ。

 膝を曲げてのぞき込んでいると、本丸より低いところに「茶室」と記された場所を発見。安永さんによると秀吉が居住していた山里丸にあった茶室という。これは初めて気付いた。「竹で造られ、4畳半の広さです」。秀吉が茶会に招いた博多の商人・神屋宗湛(そうたん)の日記にそう書かれていたらしい。周りを気にせず、いろんな角度からじっくり観察できるのも新鮮で楽しい。

 先に進むと、今度は模型船が。「文禄・慶長の役」で活躍した朝鮮水軍の戦艦「亀甲船」(模型全長3・16メートル)と、日本水軍の軍船「安宅船(あたけぶね)」(同3・6メートル)だ。強そうな亀甲船に光を寄せると、見開いた目に、ギザギザの歯。船首に備わる龍の表情が迫力を増している。「海戦で日本軍は苦戦した」と安永さん。これは驚いたに違いない。思わず見入ってしまった。

 展示室には、15~18世紀に朝鮮で作られた焼き物や城跡からの出土品も並ぶ。展示ケースに懐中電灯を近づけると、一見、灰色をした金箔(きんぱく)瓦は、所々で金色の点の輝きが際立つ。普段より強い光を浴びて喜んでいるのか、金が自ら浮かんでくるようにも見えた。どの展示品も、明るいときとは見え方が違って心が躍る。

    ◇    ◇

 1時間ほどで展示室を後にし、館外へ。外はすっかり暗くなり虫の音が聞こえる。続いては城跡巡り。

 名護屋城は当時、大坂城に次ぐ規模を誇ったとされ、加藤清正や伊達政宗などの名だたる大名が参陣した。現在、周囲には約150の陣跡が確認されている。

 本丸を目指して坂を上る。もちろん、ジオラマで見たような当時の建物は見当たらないが、左右に残る石垣が想像力をかき立てる。

 「足元の石を見てください」。途中、そう言われて下を向くと、表面が凹凸した大きめの石がある。聞くと、築城に際して石を割るときに使ったくさびの痕という。触ると、思った以上にくっきりと残っているのが分かる。「ここもですよ」。飯田さんがすぐそばの石垣を照らしてくれた。

 角が崩れたまま残っている石垣についても、意外な驚きがあった。

 1637年の島原・天草一揆で、幕府軍は廃城に立てこもった一揆軍と戦い多くの死傷者を出した。その経験から反乱を警戒し、すでに廃城だった名護屋城を大きく崩したとされる。安永さんは「丈夫な造りにするために重要だった角を壊し、効率よく城を使えなくしたのだろう」。てっきり、自然に壊れたものだと思い込んでいた。また一つおもしろい歴史が浮かび上がった。

 15分ほどで本丸に到着。視界が開け、夜空が広がる。かつて5層7階の天守閣が建っていたという天守台からは広大な海や島の夜景を一望できた。「秀吉もここから眺めたのか」。そうつぶやくと、「さすがに呼子大橋はなかったと思いますよ」と安永さん。時代をさかのぼっていた私をやさしく現代に引き戻してくれた。

 天下を統一した秀吉が1年余り滞在したという名護屋城。ぜひ、あなたもその歴史に触れてみては‐。

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 当日は午後6時半~9時。先着70人。無料だが申し込みが必要。専門家の解説で星空観察も楽しめる。同館=0955(82)4906。

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