ハンセン病判決 全ての偏見を絶つ一歩に

西日本新聞 オピニオン面

 さまざまな人権問題に共通する社会の偏見と、それに基づくいわれなき差別を根絶する一歩としたい。

 ハンセン病の元患者家族が受けた差別被害を巡り、国に損害賠償を命じた熊本地裁判決について、安倍晋三首相が「控訴しない」と表明した。判決は近く確定する。

 患者隔離政策による誤解と偏見から、就学や就労の拒否など家族が受けた深刻な被害の実態を直視した判断であろう。その姿勢を、私たちは評価する。同時に、判決の内容に照らせば、当然の結論であることも改めて指摘したい。

 この訴訟の最大の注目点は、直接の当事者ではない家族に対し法理上、賠償が認められるのか。認められるとすれば、どんな論理が示されるのかだった。

 判決は「国は、患者隔離政策により、家族が偏見差別を受ける社会構造をつくり、差別被害を発生させた」と断じた。

 差別は「社会構造」として生み出されたとする指摘である。人権問題の本質を突いていると私たちは考える。

 日本では、被差別部落出身者による反差別の闘いが、人権運動の原点とされる。歴史的に劣悪な環境の地域に住むことを余儀なくされた罪なき人々を、周囲の人間がさげすんできた。

 在日コリアン、障害者、性的少数者(LGBT)らも、社会の偏見にさらされてきた。

 女性全般も、そうだった。今ではスポーツや学術、経済などの各分野で優れた業績を残している。ほんの数十年前まで、女性はそれに相応する能力を持つという認識を、社会はどこまで共有できていただろうか。科学的根拠を欠く偏見が先行していたと言えよう。

 今回の判決も、患者隔離政策は、既に普及していた科学的知見に基づかないまま存続していたことを改めて示した。ハンセン病は「らい菌」による感染症だが、感染力は極めて弱い。特効薬の普及後も、日本では「恐ろしい伝染病」と認識されてきた。その過ちを繰り返し啓発することが、社会に依然残る差別意識を払拭(ふっしょく)する出発点になる。

 特に重要な視点がある。私たち一人一人の中に存在するであろう「内なる偏見と差別」を、自ら問うことだ。国の施策や不作為が差別の土壌をつくるとしても、結婚差別、仲間外れ、誹謗(ひぼう)中傷などを実際に行うのは個人である。

 近年、各種の人権擁護を目的とする法整備は急ピッチで進んでいる。政府による今回の控訴断念に対する歴史的な評価は、今後どれほど内実のある総合的な人権施策を展開できるかにかかっている。

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