人権救済 国は向き合ったか 内田博文・九大名誉教授

西日本新聞 総合面

 ハンセン病家族訴訟を巡り、12日に政府が出した声明について、国のハンセン病問題検証会議副座長を務めた内田博文・九州大名誉教授に聞いた。

 家族訴訟は、被害の声を上げにくい社会のマイノリティーが、国によって重大な人権侵害を受けた問題だ。政府声明は、そうした特徴を正面から受け止めていないような印象を受ける。

 声明で政府は、家族が受けてきた偏見や差別をどう取り除くかについては国に裁量があると指摘した。その上で、対策を取る義務を尽くしていないと国を批判した6月の熊本地裁判決に「(国の)裁量を極端に狭く捉えており、適切な行政の執行に支障を来す」と異論を唱えた。対策をサボってきたと言われたのに「やり方は自分が決めることだ」と居直っているようなものだ。現に差別や偏見はぬぐい去られておらず、納得できる理屈とは思えない。

 訴訟では、時効が大きな争点となった。時効の起算点は、原告が国から不法行為を受けたと知り、提訴が可能だと知った時点だ。

 社会全般で受ける差別や偏見の根本的な原因が国の強制隔離政策にあったと知るには、ハンセン病や隔離政策などについての専門的な知識が必要となるが、原告たちは法曹でも研究者でもない。加害者は国だと認識するのは容易ではなかったとして時効成立を認めなかった地裁判決は、常識を踏まえた判断だと言える。

 この点についても政府は判決を批判しているが、あまりに硬直的だ。人権救済の観点がおろそかになっていないだろうか。

 家族訴訟の原告たちは社会の少数派だ。大多数に対する人権侵害は被害者が多いために議論となり、問題化されやすい。それに対し、少数派への偏見や差別は、当事者自身が被害を受けていることに気付きにくい上、批判を恐れて声を上げにくいという特徴がある。

 マイノリティーに対する人権侵害は、ハンセン病問題だけにとどまらない。人権尊重は憲法の柱。幅広い分野に貴重な教訓を生かすためにも、判決や声明について検証し、国民の一人一人が学んでいくべきだ。

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