政と官とハンセン病と

西日本新聞 オピニオン面

 新聞記者にとって「誤報」という2文字ほどいやな単語はない。自分がやらかせばもちろん最悪だが、他社がやった誤報についてもひとごととは思えず、「自分だったら…」と考え込んでしまうほどである。

 ハンセン病患者の隔離政策によって引き起こされた家族への差別について、国に損害賠償を命じた熊本地裁の判決に関し、安倍晋三首相は判決を受け入れ「控訴しない」と表明した。

 この訴訟を巡り、朝日新聞が首相表明直前の9日付朝刊で「政府は控訴へ」と大きく報じた。そして翌日朝刊で「政権幹部を含む複数の関係者への取材を踏まえたものでしたが、十分ではなく誤報になりました」と説明、謝罪した。

 この経緯を受けネット上では「朝日がはめられた」説が飛び交っている。朝日新聞を敵視する安倍政権が朝日新聞を陥れるためにわざと偽情報をリークした、とのストーリーである。

 ネット好きが飛びつきそうな陰謀論であるが、私は当事者の朝日新聞から「はめられた」証言が出ない限り、この説を採らない。この種の取材がいかに難しく、はめられなくても誤報を出しやすいか、経験上知っているからである。

   ◇    ◇

 今回と酷似しているのが2001年5月、小泉純一郎首相がハンセン病元患者本人への隔離政策を違憲とした地裁判決について、控訴を見送ったケースだ。控訴期限を前に新聞各紙が「政府は控訴の方針」の観測記事を飛ばし合った。

 この時の取材の経緯は後輩記者が11日の本紙コラムで書いたので詳述しないが、政治担当デスクだった私は、控訴か見送りかのどっちに転ぶか本当に分からず、毎晩、朝刊の締め切り時刻を前に悶絶(もんぜつ)していた。

 何しろ首相本人が黙っている以上、判断材料はすべて周辺情報にすぎない。結果的に「控訴の方針」の記事は誤報となった。焦れば失敗すると分かっていながら周辺情報に頼ってしまうのも、記者の性(さが)である。

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 改めて思い起こすと、小泉政権時代のハンセン病訴訟控訴問題を通じて、当時の私たちが知ろうとしていたのは、実は「政と官」の力関係でもあった。

 自民党長期政権時代、政治家と官僚との関係は、政治家が上位にあるように見えながらも、実は官僚が政治家をコントロールしていた。官僚の方が情報量に勝り、理屈に強いからだ。それが常態化し、政治のダイナミズムが失われていた。

 小泉首相は、前例や他の訴訟への影響にこだわる官僚の反対を押し切り、控訴見送りを決めたことで、従来の力関係を逆転してみせた。そこに「控訴せず」の驚きがあった。「政は官よりも強し」を実感させた。

 今回の安倍首相の決断も「政が官より強い」の構図の下でなされた。しかし、状況は小泉政権とはかなり異なる。6年半の長期に及ぶ安倍政権下では、むしろ「強過ぎる政」の弊害が目立っているからだ。財務省の公文書改ざん、厚生労働省の統計不正など一連の官僚不正は、強力な政権の顔色をうかがう「弱い官僚」の忖度(そんたく)に起因している。

 私は安倍首相の「控訴見送り」自体は高く評価している。しかし「強い政」の負の副産物に思いを巡らせば、18年前のように単純には喜べないのである。

 (特別論説委員)

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