【小児がん 母と娘の闘病日記】(16)母から 親たちが語り、泣く場を

西日本新聞 医療面

 急性リンパ性白血病の治療を終え、芙優(ふゆ)が退院した後も、私は再発の不安に襲われ続けました。退院後もこんなにつらく不安定な生活が続くなんて、初めて「小児がん」という病の怖さと難しさに気付きました。

 入院中に友達になったお母さんたちからは頻繁に不安を打ち明けられたり、「再発したかもしれない。どうしよう」と再入院の報告を受けたりしました。旅立った子のご家族から葬儀の案内が来ることもあり、次から次にメールが届きました。

 「何とかしなくては」。2010年2月、芙優が入院していた福岡市内のがん専門病院で、医師や医療スタッフ、闘病仲間の力を借り、初めての「親の会」をつくる決心をしました。会の設立は、ずっと病院と関わって闘病中の家族を支えることであり、それがどんなに大変なことか。「わが子が再発したらどうしよう」などと考える余裕もなく、勢いに任せた決断でした。

 当時の病棟は古く、お母さん同士が話す場所も泣く場所もありません。洗面所の端や廊下の隅で、声を潜めて不安を共有しました。まずはここから、です。思う存分語り合える場所と時間の確保。病院と交渉し、食堂の端のスペースを借り、月に一度の茶話会を始めました。

 初日は朝からお茶菓子を買いに行き、午後の都合のいい時間にいつでも参加してもらえるようにしました。親が茶話会に参加している間、病棟スタッフが子どもの世話を引き受けてくれました。もちろん、治療中の子どもたちの体調には十二分に気を配りました。

 発足からもう9年。本当にいろんなことがありました。小児がんという困難な病気に立ち向かうのは一人では大変です。「一緒に乗り越えていこう」という思いは、今も変わらず私の心にあります。でも、本当は自分が一番救われたかったのかもしれません。

 (山本章子=がんの子どもを守る会九州北支部代表幹事)

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