【日日是好日】いろんな「縁」に守られて 羅漢寺住職 太田英華

西日本新聞 大分・日田玖珠版

 ある日の夜中、突然の激痛で跳び起きました。何者かに腕をかまれたのです。数匹の猫が周りで寝ていたはずですが、猫とは違う口の大きな小動物でした。

 慌てて電気をつけて辺りを見渡すと、なんと犯人はタヌキでした。結局、穏便にタヌキを追い出し、大事に至らず終わりましたが、気になるのが猫です。タヌキにかまれた時、気が付くと周りにいたすべての猫は1匹もおりませんでした。静かに逃げたのです。1人残されタヌキにかまれてしまった私の、情けない珍事件でした。

 先日、久しぶりに福岡の明光寺僧堂に行きました。少し体調を崩されお休みされていた青山先生が、ご提唱を再開されたのです。

 博多駅に到着し、明光寺僧堂へはいつも歩いて向かいます。20分くらいの距離ですが、この日は、梅雨入り前の日差しが強い日で、げたを履いて歩く足取りが少々重く感じました。毎日山を登るため、歩くことで疲労は感じなかったはずですが、久々の博多の道で疲れてしまったことで、いつもと違う何かの必要性を感じました。

 最近老眼傾向にある私の目が敏感になったのか、都会の街の照り返しは強烈でした。山の中でも同じような日差しの日もありますが、このように目が疲れることはありません。たとえコンクリートの道を歩いても、そこにはコケが生え光を吸収してくれ、木陰が日差しから守ってくれます。車が通っても、騒音や排ガスを包み込んでくれる新鮮な空気があります。

 「緑」の存在が私を守ってくれていたのです。50歳を過ぎ「無常」を実感し、その背景にある「有難(ありがた)い」存在に少しずつ気づいてきました。私たちは多くの働きに守られて生きているのだということです。例えば、日常生活で人との触れ合いで知らず知らずに守られていることがあります。自然環境のエネルギーが知らぬ間に守ってくれ、また育つ過程で生きる力を培ってくれ、そのエネルギーを私たちの体に蓄えてくれているということもあります。

 仏教ではこの世は「無常」であると考えます。それは、森羅万象が、さまざまなものの寄り集まりで、和合・調和し支えあい、生じては滅している「衆縁和合」だからです。大切なのは「無常」は寂しいのではなく、全てに訪れることであり、与えられたこの刹那的な時間を、努力し精いっぱい生き、そして、支えあい、守られていることに感謝することなのです。変化しているからこそ、悲しみもあれば、楽しみもあります。

 冒頭のタヌキ騒動のあきれた猫に、ちょっと苦言を。「おい猫よ。私たちは仲間だ。たまに私のご飯を盗み食いしていることも、こっそりネズミを退治してくれていることも、全て分かっている。だからもし、次にタヌキに襲われそうになったら、逃げてもいいから、頼むから一声掛けてくれ」

【略歴】1967年、羅漢寺27世住職の娘として生まれる。高校卒業後、大学進学のため上京。20代半ばから40歳で出家するまでフラメンコダンサーとして活動。出家後、愛知県の尼僧専門修行道場で約5年間、僧堂修行し、2013年3月に帰山。現在、羅漢寺28世住職として寺を守る。

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