【創造競争の時代】 宮本 雄二さん

西日本スポーツ オピニオン面

宮本雄二(みやもと・ゆうじ)さん=宮本アジア研究所代表、元中国大使 拡大

宮本雄二(みやもと・ゆうじ)さん=宮本アジア研究所代表、元中国大使

◆「自由な精神」育成が鍵

 中国ではスマートフォンなしでは生活できなくなった。スマートフォン決済が日常化し、本人の経済状況や日々の行動は、サービス提供会社にすべて把握される。また、高性能の監視カメラがあちこちに取り付けられ、個人が特定されやすくなっている。これこそが監視社会の始まりだ、と心配になるが、中国では必ずしもそうは受け取られていない。スマートフォンで生活は格段に便利になり、監視カメラのおかげで犯罪は減り、安全になったからだ。

 しかし、これらのシステムが社会の構成員の監視と管理強化のために今以上に使われるようになれば、人々の心は離れ、萎縮するだろう。

 中国はほぼ自力で今日の宇宙産業を作りあげた。権威主義的な体制でも創造的活動は可能なのだ。現に中国の国際特許出願件数は日本を抜き米国に迫っている。だが、大きな方針を上が決めるやり方は、知識と技術の応用分野において効果を発揮するが、新たな創造分野では限界を持つ。やはり、既存のあらゆるものに疑問を抱き、場合によっては否定する「自由な精神」が不可欠なのだ。

 最近の米中対立は技術覇権の争奪戦でもある。中国が生き抜くためには、知識と技術の創造に長(た)けた人材の養成が鍵となる。「自由な精神」を持つ若者の育成が必須要件だが、これと社会に対する管理強化との両立は難しい。

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 世界は創造力を競い合う時代だ。この力を持たない国は落後する。日本にその備えはあるのだろうか。日本には創造を担う「自由な精神」が健全に育っているだろうか。どうもそうではない気がしてならない。例えば海外勤務から戻るたびに日本社会の「お節介」に気づかされる。過剰なサービスが多すぎるのだ。電車に乗ると次の駅のアナウンスがある。最近の天気予報は明日着る服装までアドバイスする。人が考え判断しなくて済むようにすることがサービスだということなのだろう。

 私が修猷館高校(福岡市)に通っていたころ校則はなかったと記憶する。校則がなければ校則違反は起こりようがない。その意味で実に自由だった。先生たちの我々に対する教育は、自分で判断し、その結果についての責任は自分で取れ、というものだった。何が正しいかを自分で考え、それと世の中の常識との距離感を自分で判断して行動しなさい、ということだ。もちろん判断の結果に個人差はあり、先生から注意される者も出る。だが精神は自由だった。生徒の自主性をとことん尊重する校風だった。

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 校則にがんじがらめに縛られた学校では、一見、先生も生徒も校則通りにやることで日々平穏に過ぎていくように見える。生徒は自分で判断して行動することに伴う責任がない分、気持ちは楽だ。先生も、生徒を自由にさせた結果生じるかもしれない責任から解放され、気が楽だ。しかしそこでは自分で考え、判断し、行動する「自由な精神」を育てることが難しくなる。

 社会生活を送る上で、ルールを守ることは大事だ。それを教えることは間違ってはいない。これからは社会を成り立たせている重要なルールを守りながら、精神は自由に飛躍のできる社会をつくらなければならない。この「自由な精神」にあっては、社会の重要なルールでさえ、普遍ではない。新しい視点から全てを見直し、柔軟に発想し、解を求める。その先に他者への考慮、「公益」の意識がなければならない。自分と異なる考えを持つ人たちを温かく見守る気持ち。これが「自由な精神」のもう一つの条件だと思う。自分の自由を大事にしたいのなら、他者の自由も尊重すべきだからだ。

 【略歴】1946年、福岡県太宰府市生まれ。修猷館高-京都大法学部卒。69年に外務省入省。中国課長、アトランタ総領事、ミャンマー大使、沖縄担当大使などを歴任。2006年から10年まで中国大使。著書に「強硬外交を反省する中国」など。

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