ソクラテスの見誤り 上別府 保慶

西日本新聞 オピニオン面

 学校の授業では、民主政治が古代ギリシャで始まったことは教えるが、これを守るのになかなかの苦労があったことまで触れるには、時間が足らない。「はい、ここは試験に出るから暗記して」と要点だけで、すっ飛ばす。

 しかし古代のアテネ人たちが、今の投票率に当たるであろう、民会の出席率を引き上げるため、いろいろ思案した話は人間くさくて面白い。

 民会が開かれる丘への道は途中に広場があり、露店が並んでいた。ここで市民はついつい道草を食って遅刻する。そこで民会の前日には露店が撤去された。さらに出席手当もつくられ、通常の民会では熟練の土木作業の給金と同じ1ドラクマが払われ、重要な会議では1・5倍になった。

 それでも、友とおしゃべりして遅れる人はいる。行列の後ろから2人の兵士が長い縄を張って歩き、追い立てた。縄には赤い泥が塗られており、これが衣服につくと罰金を払わねばならなかった。

 以上の話は東京大の橋場弦(はしばゆづる)教授の本「民主主義の源流 古代アテネの実験」から。講談社学術文庫から出ているが、いかめしいタイトルの割に読みやすく、お薦めだ。

 さて、苦心して出席率を確保したアテネの民主政も、早くから衆愚政治(ポピュリズム)の落とし穴にはまった。

 よく引き合いに出される政治家が、アルキビアデスである。超二枚目の上に、名家の出身で弁も立つ。かの哲学者ソクラテスに弟子入りして師匠に愛され、30歳の若さで将軍に選任された。

 野心に燃える彼は、民会でシチリアへの遠征を提案。民衆は、それがどんな島かも知らぬまま熱狂的に支持した。

 紀元前415年、6千人を超す兵士を乗せた大艦隊が出発。ところがシチリアに着いた時、アルキビアデスは自分が国元の政変で失脚したのを知り、アテネの宿敵スパルタへ亡命してしまう。残された兵士は敗北と退却の末に、多くが無残な死を遂げた。

 彼は逃げたスパルタで厚遇されて、故郷のアテネを裏切る謀略を献策する。ところが王妃を誘惑して子ができたため立場が悪くなり、アテネの政局が混乱するのに乗じて帰還を果たす。まんまと将軍にも返り咲くが、失策でまた亡命した。

 最後はスパルタに暗殺されたと伝わるが、アルキビアデスの生涯は、民主政治がはらむ、危うさの例として記憶された。ヒトラーが登場する二千数百年前の話である。人を選ぶのは難しい。かのソクラテスにしてしかりである。

 参院選の投票は21日。

 (編集委員)

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