山下氏とミーシャの涙 手島 基

西日本新聞 オピニオン面

 観客席に人文字で描かれた大会マスコットの子グマが涙を流した。1980年のモスクワ五輪の閉会式。東西冷戦下、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して西側諸国がボイコットした平和の祭典は「ミーシャの涙」で幕を閉じた。

 政治に翻弄(ほんろう)されたスポーツ界の涙。日本オリンピック委員会(JOC)は政府の意向に屈して不参加を決める前、代表候補らを集めて会議を開いた。涙と悲痛な叫びに包まれた会場で「夢を絶たないでほしい」と訴えたのが柔道の山下泰裕氏だった。「スポーツ界の努力も足りなかった。スポーツの価値やエネルギーの発信といった自分たちがすべきことを常に考え、やっていたのか」。当時を振り返り、山下氏が自戒を込めて響かせた言葉が忘れられない。

 けがを乗り越え歓喜の涙を流し、金メダルを掲げた84年のロサンゼルス五輪は東側諸国がボイコット。政治が影を落とした五輪を選手として味わい、自国開催となる2020年を前に、かつて夢を絶たれたJOCの会長に就いた。

 国からの強化費が増えるにつれ、大きくなる政官界の関与。モスクワの苦い経験からスポーツ界の自立を目指し、1989年に日本体育協会(現日本スポーツ協会)から独立したJOCが存立の危機にある中での船出だ。宿命を思わせる巡り合わせに、山下氏の生きざまが重なる。

 現役時代は「覚悟を持って闘い、多くの人の夢を摘み取ってきた」。大将で3度挑んだ金鷲旗高校柔道大会では九州学院(熊本)の1年で3位、2年で優勝。転校した東海大相模(神奈川)で優勝した3年時は、九州学院も準々決勝に進出。直接対決を免れることになった、かつての仲間たちの惜敗に心を揺さぶられながら闘い抜き、金鷲旗は初めて関門海峡を渡った。

 前人未到の203連勝に全日本選手権9連覇、外国人選手に無敗…。己を知り、綿密な分析と作戦を基に闘っていた-とライバルたちが口をそろえる繊細で緻密な性格。現役引退後も「柔道による人づくり、国際交流は人生を懸けた闘いだ」と奔走し続ける。現実を受け入れ、最善を尽くす過程で流した涙もあった。

 2年前、東京で面会した際、問題噴出のJOCで竹田恒和氏に代わるトップに誰がふさわしいか尋ねられた。ご本人に目配せすると首を振って笑った。別れ際、福岡に転勤する私に「トップに立ったら後任を育てるのが仕事。自分が辞められなくなったら困るからね」。18年も会長に座った竹田氏と違い、自らが退いた後の青写真も既に描いているに違いない。 (運動部長)

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