不登校(8)自由な形 居場所さまざま

西日本新聞 くらし面

 少し古い一軒家。引き戸の玄関を開け、廊下を進むと大きめのテーブルを二つ置いた「教室」がある。7月中旬、福岡市東区のフリースクール「箱崎自由学舎えすぺらんさ」では、女子中学生が学習計画を立てていた。スタッフと1対1で向き合い、「空白」の日に予定を書き込む。

自信取り戻して力を発揮

 2005年設立の同スクール。現在は小中高の9人を、教員免許を持つ4人とボランティアの15人が支える。中高生は数学や自習など毎日の時間割があり、環境は公立学校に近い。これまでに「卒業」した約60人は、高校や大学に進学したり就職したりしている。

 代表の小田哲也さん(52)は、通ってくる子どもたちの共通項を打ち明ける。「どの子も学校に行かねばならないという強迫観念があり、学校に行けないことに自信を失っている」

 最初はあまり表情がなく言葉も発しない。褒めてもうれしがらない。そんな子たちの心を開くため、田植えやキャンプなどの体験を積み、スタッフを交えた雑談を重ねる。個人差はあるが、徐々に自ら学ぶ姿勢を見せ始め、自信を取り戻していっているという。

 今年3月には、福岡県内のフリースクールや相談先など32団体を紹介する冊子の配布も始まった。「たまたま地元の学校が合わず」(小田さん)に、不登校になった子に選択肢を示すため。「学校に行くしかないなら不登校の子の才能は埋もれてしまう。子どもが選べる環境が必要だ」と小田さんは強調する。

「好きなこと」を認める

 自らの体験をフリースクール運営に生かす不登校経験者もいる。滋賀県草津市のNPO法人「D.Live(ドライブ)」代表理事、田中洋輔さん(35)だ。

 机に向かう子もいれば、テレビゲームで遊ぶ子、机に突っ伏して昼寝する子も。運営するフリースクールでは、小中高の約20人が思い思いの行動を見せる。田中さんは1人で過ごす子にさりげなく寄り添い、寝ている子は起きた時に話し掛ける。「子どもの状態を見極めながら、少しずつ挑戦を促している」と言う。

 幼少の頃から周囲に「変わっている」と言われ、高校で不登校を経験。大学進学後、1人暮らしのアパートに引きこもった。頑張りたくても頑張れない。「誰も自分のことなんて分かってくれない」と本気で思った。しかし、1年がたったある日「新たなことを始める力が充電した」とアルバイトなどを始め、2012年には教育に携わるために法人を設立。経営していた塾の保護者からの要望でフリースクールを始めた。

 不登校に引きこもりを経験したからこそ、我慢して壁を乗り越えるのではなく、好きなことをやる中で壁は破れると信じる。「やりたいことであれば意欲も上がるし、吸収も早いだろうからね」

多様な学びの場を模索

 フリースクールは不登校の子どもの「居場所」として社会的にも認知が進み、文部科学省も在籍校の出席日数にすることを認めるようになった。ただ、法に基づく「学校」ではなく指導内容もさまざまで、教育レベルに大きな差がある。

 中学生3人が通う福岡市のフリースクール「しきのき学習教室」では、教室にある参考書や問題集などを使い、個別の目標に合わせて臨床心理士で学習塾を運営する志岐信明さん(36)が指導する。志岐さんは「学習支援に軸足を置いた心のケアにニーズがある」と話す。

 ただ、生徒の学校への出席を認めてもらうため、志岐さんは月1回、学習内容などを提出しているが学校側と話し合いをする機会は少ないという。「生徒の状況や進路について情報共有する場が必要ではないか」と問題提起する。

 より多様な学びの模索も続いている。一つの科目を一定期間に掘り下げて教える「シュタイナー教育」に取り組む学校やフリースクールなどの関係者らが実行委員となり、3月に福岡市で全国規模のフォーラムを開いた。7月中旬、報告書作成で集まった実行委員は「子どもは伸び伸び学べるだけで十分育つ。フリースクールで自分らしさを取り戻している」と語った。

 子どもの個性を尊重するため、教育環境こそ柔軟に変わるべきだという指摘もあった。「その子らしさと社会性は両立できる」。そんな将来像を思い描き、それぞれの学びやで、子どもが通いたくなる環境づくりに力を注いでいる。

フリースクール】1985年に開設された「東京シューレ」が国内のフリースクールの草分けとされている。不登校の子どもが激増する中、保護者や市民の力で立ち上げられた。2001年には、全国を横断する「フリースクール全国ネットワーク」が発足。現在、70団体以上が加盟している。当初は不登校の子どもの受け皿という側面が強かったが最近は学校のように教科の枠にとらわれず、子どもの自主性に重きを置いた学びを提供する施設もあり、不登校の子ども以外でも通うケースがある。

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