李鵬中国元首相死去 天安門事件で弾圧主導

西日本新聞 国際面

 【北京・川原田健雄】1989年6月の天安門事件で民主化運動の武力弾圧を主導した中国の李鵬元首相が22日、病気のため北京で死去した。90歳だった。国営通信新華社が23日伝えた。李氏は88年から10年間、首相を務めた後、江沢民指導部時代に中国共産党序列2位の全国人民代表大会(全人代)常務委員長(国会議長)に就任。2003年の引退後も保守派の長老として存在感を示した。

 17年10月の第19回党大会の開幕式に出席したが、その後、詳しい動静は伝えられていなかった。

 李氏は上海市生まれ。国民党に処刑された「革命烈士」の父を持ち、周恩来首相に養子として育てられた。48年にソ連に留学し、モスクワ動力学院で学んだ。66年から北京で技術者として勤務した後、政界入り。電力工業相、副首相を経て、87年に失脚した胡耀邦党総書記の後任として趙紫陽首相が総書記に昇格したのに伴い、首相代行に就任。88年、首相に選出された。

 天安門事件では、天安門広場に座り込んだ学生らとの対話を重視する改革派の趙氏と対立。89年5月の北京への戒厳令発令や同6月の武力弾圧について一貫して強硬論を主張し、当時の最高実力者、〓小平氏による武力行使の決断につながったとされる。

 天安門事件で趙氏が失脚し、江沢民氏が党総書記に指名された後も首相にとどまり、江指導部を支えた。98年に朱鎔基氏に首相を譲った後は全人代の常務委員長に就任。03年に退任した後も電力閥の重鎮として影響力を保持した。

 李氏は89、97、02年に訪日。89年は天安門事件前の4月の訪問で、中国の首相として初めて福岡に入った。歓迎夕食会で「福岡は今後、中日交流の拠点となるべき都市だ」と言及。開催中のアジア太平洋博覧会(よかトピア)も視察した。

※〓は「登」に「おおざと」

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