【旅】ロシア・サンクトペテルブルク 北緯60度  歴史が凝縮した古都の「ベストシーズン」を歩く

西日本新聞 福間 慎一

 バルト海に面するロシア第2の都市、サンクトペテルブルク。欧風の文化を取り入れた古都は、世界屈指の観光地でもある。うだるような暑さの九州から約7300キロ離れた北緯60度。7月に入っても最高気温が20度前後で、現地の人が「ベストシーズン」と口をそろえる街を訪ねた。

終わらない「昼」と「人の波」

 サンクトペテルブルクの玄関口、プルコボ空港に降り立ったのは午後8時すぎ。空はまだまだ明るい。市中心部、メインストリートのネフスキー通りは祭りでもないのに人、人、人。トロリーバスが走り、車のクラクションが鳴り響く。ふと時計を見ると、午後10時半過ぎ。まだ明るく、街灯もともっていない。

 ひんやりした心地よい空気の中、長袖シャツの親子連れが記念撮影を楽しんでいる。宿に着いたが、時差もあってなかなか寝付けない。そうこうしていると、午前3時半ごろには、あっけなく空が白み始めた。もうジョギングしている人がいる。

 「水の都」とも言われるサンクトペテルブルク。中心部には、かつて宮殿だった豪華絢爛な建物が並ぶ。そして川幅が最大約1キロほどあるネヴァ川が流れ、100以上の運河や水路には遊覧船が行き交う。市内にはピョートル大帝の「青銅の騎士像」をはじめとした銅像があちこちにあり、建物一軒一軒に、建築時期や言われなどを記した銅板がはめ込まれている。

 ネヴァ川のほとりにあるエルミタージュ美術館へ。「世界三大美術館」に数えられるだけあって、来館者で引きも切らない。五つの建物からなり、収蔵品は300万点を超える世界最大級の美術館の収容力。大混雑の中でも、作品を比較的ゆったりと見ることができた。レンブラントの作品だけを集めた広間(写真)や、ラファエロの「聖家族」といった屈指の名作は、美術に詳しくなくても胸に迫るものがある。

 街は1703年、初代ロシア皇帝のピョートル1世の命によって建設が始まった。元は森林が広がる荒れ地に、強権を持って新たな都がわずか20年ほどの間に建設されたという。フラッシュさえ使わなければほとんどが撮影自由のエルミタージュ美術館の中で、撮影が禁じられている「ダイヤモンドの間」に入った。室内は文字通りの「金銀財宝」の数々。100カラットのエメラルド、無数のダイヤモンドが光り輝く一品はなんと「馬の頭飾り」。あまりの豪華さに、絶対的な権力はもちろん、その土台となったであろう民衆の苦しみさえ感じさせられた。

宮殿を断念し、スーパーへ

 市中心部から南へ1時間半ほど車を走らせたプーシキンの街に、王族が夏の間だけ過ごしたエカテリーナ宮殿がある。

 到着して驚いたのはその豪華さと同時に、観光客の多さ。18世紀、日本からロシアに流れ着いた大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に謁見した歴史的な場所にぜひ入りたかったが、「待ち時間4時間」の立て札のはるか先まで行列が続いている。これがベストシーズンの世界屈指の観光地ということか…。

 断腸の思いで宮殿の外に出て散策すると、それでも軽く1時間を超える広さがある。「脇役」の建物や植栽も一つ一つが細やかで絵画のよう。広大な四角い人工池の向こうに黄色い2階建ての建物がある。あれも誰か王族の居室かと思えば「女性用のお風呂場です」とガイドのイリーナ・ナターリアさん(49)。それだけでも、王朝の贅を実感した。

 サンクトペテルブルクの名所はどれも豪華絢爛で、現実感がなくなる街でもある。エカテリーナ宮殿の代わりに、近くにあるスーパーマーケットへ足を向けた。サンクトペテルブルクには、すでに日本から撤退したコンビニエンスストアチェーン「スパー」の店舗がいくつもあり、ここはさしずめ「スパー エカテリーナ宮殿前店」。こちらも広大な店内で、まず目に飛び込んできたのは、サラミやウインナーなどのボリューム満点の加工肉の数々と、キュウリをはじめとした多種多様なピクルスだった。

 おもちゃ売場では、人形やブロックなどのカラフルなおもちゃに交ざって、細部までリアルな戦車や輸送車が異彩を放つ。20メートルほどの棚が全てウォッカで埋まるほどの酒コーナーで目に留まったのは、小さなグラスにふたを付けた「ワンカップウォッカ」。100ミリリットル入りでアルコール度数は40度。値段は150円ほど。まさに、九州人にとっての焼酎と似た距離感だ。

 この街は、歴史の変遷とともにその名を変えてきた。ロシア帝国の都だった「サンクトペテルブルク」は第1次世界大戦時にロシア色を強めて「ペトログラード」に改称。革命の起点になり、ソ連時代の名は「レニングラード」。第2次世界大戦ではドイツ軍に約900日にわたり包囲されたが持ちこたえた。そして冷戦終結後、再び「サンクトペテルブルク」に戻った古都。中心部を少し離れればスターリン時代の豪壮な建築物やブレジネフ、フルシチョフ時代の簡素な住宅、無骨なデザインの乗用車など、社会主義の名残を随所に見ることができる。わずか300年の間に凝縮された濃厚な歴史を味わうには、数日間の滞在では到底足りない。

続々と生まれる「今」

 そして今、サンクトペテルブルクでは新たなスポットが続々とオープンしている。2010年には、スターリン時代の建物に現代美術を集めたロシア最大規模の私立美術館「エラルタ美術館」が開館。洗練されたデザインの入り口(写真左)から入るとすぐに、ロシアで生まれたゲーム「テトリス」のブロックと、その下敷きになった男性をモチーフにした造形「GAME OVER」(同右)が待ち構える。2800点を超える作品に、ソ連時代への嫌悪と懐古や、角度によって見え方を変えることで人間の内面を表そうとする絵画など、優美な古都のイメージとは違う「今のロシア」を見ることができた。

 市観光情報部によると、2018年のサンクトペテルブルクへの観光客は年間約820万人。15年から170万人も増えている。

 市観光開発部のアナスタシア・ヤディーキナ部長は「サンクトペテルブルクは大都会でもある。街の開発とのバランスが一番重要で、歴史的な建物を使ったアートスペースを生み出すこともその一つだ」と胸を張る。夏の観光シーズンだが、「気温が低く夜が長い冬の観光は厳しいのでは」という質問には、こう即答した。「冬はこうした美術館に、あまり並ばずに入ることができるし、冬にしかないイベントもある」。最近のトレンドは結婚式をこの街で挙げることらしい。(写真はスモーリヌイ聖堂をバックに記念撮影するカップル)

 日本人観光客は増えているとはいえ、年間約2万4000人。中国からが約73万人と圧倒的に多く、韓国も日本の2倍超の約5万6000人に上る。直行便がない点と、ロシア大使館などで観光ビザを取得しなければならないことがネックだったが、2019年10月から、サンクトペテルブルクから直接入国する場合はインターネットで取得できる「電子ビザ」が導入される予定。対象国に日本が含まれれば、入国のハードルは大きく下がり、観光客がさらに増えそうだ。

【メモ】人口約530万人。首都モスクワからは直線距離で約600キロ。日本との時差は6時間。航空機の直行便はなく、今回は行きがモスクワ経由、帰りはノボシビルスク経由で、成田空港からはともに片道約12~13時間だった。市内には地下鉄も通っており、運賃は一律45ルーブル。

※今回は本紙の「あなたの特命取材班」のマスコットキャラクター「あなとくちゃん」も連れて行きました。後方は街を作ったピョートル大帝の騎馬像「青銅の騎士」

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