嬉野紅茶に未来手引書 明治の製法本発見、再現へ 地元浮揚目指す

西日本新聞 夕刊

 茶の生産地として名高い佐賀県嬉野市で「明治時代の紅茶の製法を詳細に記した本が見つかった」との連絡を受け、取材に向かった。所々に虫食いのある古びた本は、1878(明治11)年に出版された「紅茶製法纂要(さんよう)」(多田元吉編)。上下巻で約150ページある本には、嬉野産紅茶の歴史と未来が広がっていた。

 本は漢字とカタカナで書かれ、茶葉や、乾燥用の台だろうか、イラストも描かれている。保存状態は良好のようだ。

 入手したのは、嬉野市の茶販売「相川製茶舗」店主の相川源太郎さん(68)。約30年前、地域で最初に「うれしの紅茶」の生産を始めた人だ。2018年秋、市内の男性が蔵を整理したところ本を発見し、知り合いの相川さんに提供した。

 本を手に取った相川さんは、文章が難解だったため専門家に頼んで現代風にひらがな交じりの文章に直してもらった。今春、できあがった本を見て驚いた。「現在の僕らが作っている紅茶の製法と基本的には同じだ」

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 本はどんな内容なのか。上巻冒頭の「摘葉のことを論ず」では茶葉の摘み取りの注意点を挙げ、若い芽を使用して製茶したものは最も貴重な「彩花白毫(フラワリーペコウ)という」と説明。これを通常の茶葉と混ぜて市場に出せば「幾千の高価を得る」とアドバイスしている。

 次の「製茶のことを論ず」では従来製法と当時の最新製法を比較。萎凋(いちょう)という生葉を乾かして縮れさせる工程では「太陽は(中略)その功最も著しきものなり」として、鍋などでいるよりも天日干しを推奨する。

 編者の多田元吉とは一体どんな人物なのか。日本紅茶協会(東京)に聞くと「日本の紅茶の父です」との回答だった。明治政府は当時、生糸や緑茶に続く輸出品として紅茶の生産を奨励。「輸出品の柱にするには、世界で通用する紅茶を作る人材育成が重要だった」(協会)ことから、正確な製茶法を書物にして生産現場に伝えるため、多田が政府派遣第1号として本場のインドなどで生産や製法を学んだそうだ。

 明治以降、日本の茶産地では紅茶が盛んに作られるようになったが、1971年の輸入自由化を受け、国産品は衰退していった。

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 嬉野でも、明治期には紅茶づくりに取り組んでいたようだ。相川さんは30代のころ、地元の茶生産者のお年寄りが「おやじたちは赤茶(紅茶)を作りよったもんね」と話すのを聞いた。明治政府が紅茶生産を奨励した時期に重なる。

 その後、紅茶の生産は途絶えたが、相川さんが「復活」させたのをきっかけに現在20~30軒が生産に取り組んでいる。ただ、各地の茶産地でも紅茶生産が盛んになり、相川さんは「嬉野は埋没しつつある」と危機感を募らせる。

 約140年の時を経て出合った本を読み、相川さんは「嬉野の先達が僕たちに良い紅茶を作れ」と背中を押しているように感じ、一つの夢ができた。来年の新茶が出回る5月をめどに、本に記された製法で明治の紅茶を再現するつもりだ。

 同県有田町の職人が明治期の紅茶碗(わん)を再現したことを本紙記事で知った相川さんは、明治の紅茶と組み合わせて来年の東京五輪・パラリンピックを機に訪日する外国人に味わってもらおうとも考えている。かつて輸出品だった国産紅茶を再び海外にアピールすることが、産地の未来につながると信じて。

 国産紅茶の生産量 日本紅茶協会によると、国産紅茶の年間生産量は近年、150~200トン(推定)で推移している。輸入紅茶は年1万6000トンほど。国産は静岡、鹿児島両県などで生産が盛んだが、国産緑茶の年7.5万~8万トンに比べると、まだわずかといえる。

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