写真家の故麦島勝さん昭和の熊本を撮影 「日常」に温かなまなざし 

西日本新聞 熊本版

 戦後、庶民の日常風景を約70年にわたって撮り続け、昨年5月に90歳で亡くなった八代市のアマチュア写真家、麦島勝さん。西日本新聞は来月から、麦島さんの作品4千点以上を所蔵する八代市立博物館未来の森ミュージアムの協力で、麦島作品を昭和の貴重な記録として紹介するコーナーを熊本県版に新設する。スタートを前に作品の一部を紹介する。

 麦島さんは高校入学の祝いに父親からカメラを贈られて写真を撮り始め、終戦で復員後、本格的な撮影を始めた。設計技師として勤めながら、ミニバイクで球磨川流域を中心に熊本や天草、阿蘇へも足を延ばし、人々の日々の暮らしや農林漁業の営みなどにカメラを向けた。今は失われた風景も多い。麦島さんは3年前の取材に「戦後、周りがどんどん変わっていくのを見て、記録しなければと、日記を書くように写真を撮ってきた」と話していた。

 市立博物館の石原浩学芸員は「普段気にもとめない日常のさまざまな表情を、繊細なまなざしで捉え、さりげない優しさ、温かさが満ちている。風景を撮っていても人々の生活のイメージがふわっと湧いてくる」と麦島写真の魅力を語る。

 「お昼どき」は麦島さん自身も好んだ一枚。野良仕事をひと休みし、球磨川の土手に並んで弁当を食べる母と子の笑顔が、日常の幸せを伝えてくれる。「集団就職」は、高度成長期に「金の卵」ともてはやされた中学卒業生が汽車で大都市圏に旅立つ光景。麦島さんは一連の写真を「つらかっただろう」と撮影から約40年間、公表せず、被写体の1人から「かけがえのない思い出」と言われ、初めて世に出したという。

 「木炭はこび」は、家庭の燃料に木炭が使われた時代に見られた光景。自転車に一つ15キロの炭俵を8俵も積む荒技をこなした。「映画館」は、映画が娯楽の代表格だった時代の繁盛ぶりがうかがえる。「洪水を楽しむ」は、頻繁に冠水していた頃の国道3号の様子。当時の子どもたちは何でも遊びに変えてしまった。

 麦島さんは作品4663点を八代市に寄贈。市立博物館でデータベース化が進められている。 

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