今村夏子の芥川賞 マルチ小説誌から受賞は地殻変動? 村上春樹の最新短編 「私小説」か。作家自身の素が表れる

西日本新聞 文化面

 第161回芥川賞は、今村夏子「むらさきのスカートの女」(「小説トリッパー」春号)に決まった。三度目の候補作での受賞だが、私も今回は獲(と)るだろうと思っていた。だが、以前の本欄で詳しく取り上げたので内容には触れない。書いておきたいのは、「小説トリッパー」にとって、これが初の芥川賞受賞作だということである。同誌掲載作がこの前に候補となったのは、同じく今村夏子「星の子」によってだった。版元の朝日新聞出版は他に小説の専門誌を持っていないので、「小説トリッパー」には様々(さまざま)なジャンルの小説が載っている。掲載されただけで「文学=芥川賞候補」に成り得る「群像」「新潮」「すばる」「文藝」「文學界」とは違う。「むらさきのスカートの女」は直木賞の候補になる可能性だってあったのだ。そもそも今村夏子の小説は「文学」なのだろうか? 私はこの問いを限りなく肯定的な意味を込めて発している。驚くほどに多様な読解へと開かれた「むらさきのスカートの女」は、むしろまったく新しいタイプの小説なのではないか?

 今村夏子の最初の芥川賞候補作「あひる」は、先ごろ終刊となった文芸ムック「たべるのがおそい」の掲載作だった。つまり今村は既存の文芸誌=純文学専門誌の掲載作では一度も芥川賞候補に挙げられていないのである。それがどうしたと言われそうだが、私にはこの事実はとても興味深いことに思える。何度か書いていることだが、考えれば考えるほど定義が困難に思えてくる「文学」は、今や実質的に「芥川賞」に紐(ひも)づけられている。「小説トリッパー」のようなマルチな小説誌から遂(つい)に芥川賞が出たということは、そのまま「文学」の地殻変動を示しているとも言えるのだ。

 村上春樹はデビュー作『風の歌を聴け』と第二作『1973年のピンボール』が芥川賞候補となったが、受賞はせず、その後は候補に挙げられることはなかった。その村上の最新短編二作が「文學界」8月号に掲載されている。約一年前に同じ雑誌に発表された「三つの短い話」(「文學界」2018年7月号)の続編だが、連作短編「一人称単数」という前にはなかった総題が附(ふ)されている。「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」は、もちろんビートルズの想(おも)い出話から始まるのだが、やがて一九六五年、高校二年生だった「僕」と、その夏に初めて出来たガールフレンド、そして今の言葉で言えば「引きこもり」に近い生活を送っていたと思われる彼女の兄との、俄(にわか)には信じがたい物語に入っていく。もうひとつの「ヤクルト・スワローズ詩集」は、ヤクルト・スワローズ(旧サンケイ・アトムズ)と神宮球場をこよなく愛する作家のエッセイ的な作品だが、題名通り途中に自作の野球詩(?)が何度も挟み込まれるのが面白い。注目すべきは、この小説の語り手が、はっきり「村上春樹」と名乗ってみせるということである。つまり「一人称単数」とは要するに「私小説」ということなのだろうか。更(さら)なる続編があるのかどうかはわからないが、これまでになく作家自身の素が表れているように読めるのは確かである。

 ●「文藝」異例の2度増刷 問題意識と企画次第で文芸誌も売れる

 特集「韓国・フェミニズム・日本」の「文藝」秋号が発売後間もなくして二度の増刷となったという。文芸誌としては異例の売れ行きである。日本でもベストセラーになった『82年生まれ、キム・ジヨン』のチョ・ナムジュや、数冊の邦訳書のあるハン・ガン、ミュージシャンとしても活躍するイ・ラン、『カステラ』『ピンポン』のパク・ミンギュなどの短編の翻訳や、現在の韓国フェミニズム小説ブームを牽引(けんいん)する斎藤真理子と、すぐれた書評家でもある鴻巣友季子の翻訳家対談、小山田浩子、高山羽根子、西加奈子、深緑野分、星野智幸の小説も載っている。「韓国文学一夜漬けキーワード集」という企画記事もある。問題意識と企画の練り方次第で売れる文芸誌が作れるという見本である。個人的にはSF仕立てのパク・ソルメの短編「水泳する人」に惹(ひ)かれた。

(佐々木敦 ささき・あつし=批評家)

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