掲載されず封印?広島被爆直後の写真、未公開4枚見つかる 西日本新聞取材班撮影が撮影か

西日本新聞 社会面

焦土化した広島市を西日本新聞記者が撮影したとみられる写真。中央右奥が市役所と推定される。当時の報道の慣習で、焼けた木や残骸の輪郭を強調する修正加工が施されている 拡大

焦土化した広島市を西日本新聞記者が撮影したとみられる写真。中央右奥が市役所と推定される。当時の報道の慣習で、焼けた木や残骸の輪郭を強調する修正加工が施されている

爆心地から東に約710メートルの福屋百貨店屋上から広島駅付近を眺める進駐軍兵士たち 広島市の焼け跡で瓦の破片や鉄片を手に取る進駐軍兵士(英国兵) 福屋百貨店屋上から撮影した広島の市街地。バラックが建っており、原爆投下のしばらく後とみられる

 広島に原爆が投下された1945年8月6日の翌日から数日後にかけて、西日本新聞の記者が現地で撮影したとみられる写真が見つかった。本紙のデータベースに収蔵されていた撮影場所・時期不詳の写真を、広島原爆の報道に詳しい西本雅実・中国新聞特別編集委員の協力で分析。広島平和記念資料館(原爆資料館)も未所蔵の未公開写真と分かった。焦土と化した街の様子が写り、本紙取材班が撮影した可能性が高い。

 「焦土化した広島市」の写真は、原爆の熱線で焼かれた市中心部の惨状を記録。広島市役所とみられる建物や燃え残った立木が残るほかは、がれきや鉄骨で埋め尽くされている。当時の報道の慣習で、絵筆で輪郭などを強調する修正加工が施されており、紙面掲載を想定していたようだ。

 この写真も含め、本紙のデータベースには広島原爆の投下直後から数カ月内に撮影したと考えられる写真が計19枚残っていた。通信社の記者や写真家、米軍の従軍カメラマンが撮影した写真も含まれていたが、原爆資料館に未所蔵で本紙記者が撮影したと思われるものが計4枚あった。

 「焦土化した広島市」以外の3枚は、原爆投下から数カ月以内に撮影したと推察される。爆心地から東に約710メートルの福屋百貨店屋上から撮影した市街地の写真2枚と、焼け跡で瓦の破片や鉄片を手に取る進駐軍兵士の姿を捉えた1枚。

 市中心部にあった本紙広島支局は被爆し、記者と事務員の計2人が死亡。投下当日の6日夕から翌7日夜に、山口支局や本社から取材班が現地入りした。

 本紙が広島原爆の現地ルポを報じたのは10日付。写真はなく、取材班の一人は「検閲が厳しく、全部書き換えられた」と戦後に証言した。現地の写真を初めて掲載したのは終戦後の8月23日付で、今回見つかった「焦土化した広島市」とは別の写真が載っている。

 9月19日には連合国軍総司令部(GHQ)の言論統制として知られる「プレスコード」が出ており、掲載されないまま封印された可能性がある。

「あなたの特命取材班」とは?

 西日本新聞は、暮らしの疑問から地域の困り事、行政や企業の不正告発まで、情報提供や要望に応え、調査報道で課題解決を目指す「あなたの特命取材班」を創設しました。「知りたいこと」を取材し、正確に深く報じる「ジャーナリズム・オンデマンド」に挑みます。
 知りたいことや困っていることについて、ご要望や情報をお寄せください。
ツイッターやフェイスブックの文中に「#あなたの特命取材班 」を入れて発信してください。LINEの友だち登録で取材班と直接やりとりもできます。
→詳しくは あなたの特命取材班 特設ページへ

PR

PR

注目のテーマ