【俵万智の一首一会】相手の覚悟問う 全体重かけた恋

西日本新聞 文化面

絵・北村直登

たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか  河野裕子

 小佐野彈さんと、雑談をしていた。彼は第一歌集『メタリック』で現代歌人協会賞を受賞したばかり。「唯一悔やまれるのは、もっと早く受賞していたら河野裕子さんに会えたかもっていうこと」と言う。それを聞いて、自分が角川短歌賞を受賞した時のことを思い出した。吉報を聞き急きょ宴を開いてくれた先輩が「お祝いに、誰でもいいから一人、歌人と話をさせてやろう」と言う。迷わず私は「河野裕子さん!」と答えていた。そしてその場で先輩が電話をしてくれて、初めてお声を聞いたのだった。おっとりと優しい関西弁で相手をしてくださった。

 歌を作りはじめたころの自分が、抱きしめるように読んだのが河野裕子の第一歌集『森のやうに獣のやうに』だ。みずみずしい恋の歌に、ことに惹(ひ)かれた。歌集には「陽にすかし葉脈くらきを見つめをり二人のひとを愛してしまへり」という歌がある。掲出歌の背景には、その苦悩があるようだった。自分の迷いや葛藤を、たとえばこんな乱暴な方法で打開してくれないかと、君に呼びかけている。無造作に、でも確かな力を持って、私を奪ってほしいと訴えている。それは、相手の覚悟を問う挑発でもある。

 もう二十年以上前になるが「あなたと読む恋の歌百首」という連載で、この一首を取り上げたところ、ご本人からお葉書(はがき)をいただいた。「……俵さんのが、これまでで一番うれしい文章でした。だけど、あの頃の私は、自立にはほど遠い少女でした」とある。自立というのは、私が書いた「自立した女性の歌だ。(中略)この歌の魅力は、相手に寄りかからずに立っていられる女性が、相手に全体重を預けたい、というところにある。」を受けている。自立にはほど遠い少女に、ここまで強い言葉を吐かせるのが、歌の力(そして恋の力)なのかもしれない。絵・北村直登

 そして河野裕子の迫力のある恋は、伴侶となった歌人永田和宏に向けて、生涯続くことになる。まさに自立した女性が、全体重をかけて。結婚後一男一女に恵まれ、歌壇での充実した活躍を続けるが、2000年、五十四歳の時に乳がんで手術。2008年に転移が見つかり、2010年、六十四歳で亡くなった。この間の経緯は永田和宏『歌に私は泣くだらう』等の著作に詳しい。永田は死の前々日に「長生きして欲しいと誰彼数へつつつひにはあなたひとりを数ふ」という歌を口述筆記した。私にとっての一番は、結局あなたなのだという絶唱だ。初期の作品に「たれかれをなべてなつかしと数へつつつひには母と妹思ふ」がある。この対をなす二首の間を流れた時間が、河野の人生だったのかもしれない。

 訃報に接したとき、もう一度全作品を読み直した。恋の歌、家族の歌、子育ての歌。すべてにおいて先輩として追いかけてきたことを、あらためて感じた。その過程で気づいたことが二つある。

 一つは、自分の第二歌集にある「チューリップの花咲くような明るさであなた私を拉致せよ二月」という一首。まだ拉致問題が明らかになる前の作品で、思いきった言葉選びが気に入っていた。でも、これ、つまるところ「たとへば君」の変奏曲ではないか。あの落葉を栄養として、このチューリップが咲いたのだと感じる。

 もう一つは、河野裕子の子育ての歌。自分とはずいぶん違うと感じていたが、河野の孫の歌になると、感覚が近い。高齢出産の私にとって、息子は半分孫のような存在なのかも、と思った。

 ▼たわら・まち 1962年、大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部卒。87年刊行の第1歌集「サラダ記念日」がベストセラーに。2004年、「愛する源氏物語」で紫式部文学賞。06年、歌集「プーさんの鼻」で若山牧水賞。歌集は他に「かぜのてのひら」「チョコレート革命」など。近著に「牧水の恋」。宮崎市在住。

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