【「カッコいい」とは何か】 平野 啓一郎さん

西日本新聞 オピニオン面

◆善用悪用の検証が必要

 先頃、私は「『カッコいい』とは何か」と題した新書を刊行した。これは、この10年ほどの間、絶えず私の中にあったテーマだった。

 「カッコいい」という言葉は、誰でも知っているだろうが、その定義となると、個々に多様で、なかなか簡単ではない。元々は、近世以降に使用例が見られる「恰好(かっこう)が良い」という言葉が、1960年代に「カッコいい」と形容詞化したものだったが、最初は単なる流行語に過ぎないと目されていた。

 「格好が良い」とは、その対象が、理想像と合致しているということで、その意味自体は、「カッコいい」にも引き継がれている。他方で、「カッコいい」に独自であるのは、その理想像が事前に共有されていないまま、何かに対して、「これこそ自分が求めていたものだ!」と感動し得る点で、対象は事後的に理想化される。そう判断されるのは、「しびれる」ような生理的な興奮があるからである。

    ◆   ◆

 戦後、ロックやファッションなど、多くの新しい文化が日本に普及したが、それらを、よくわからないながらも、素晴らしいものとして享受できたのは、理屈抜きに、体に強く感じるものがあったからだった。

 「カッコいい」は恐らく、幽玄やわび・さびといった概念と同様に、20世紀後半の日本文化を特徴づけた理想として、歴史化してゆくだろう。尤(もっと)も、決してそれは、日本固有のものではなく、「クール(cool)」といった言葉に見られる通り、アフリカから欧米にかけて、広範な影響力を持った概念だったが。

 「カッコいい」ものは、実際によく売れ、また人を動かす力を持っているので、資本主義と民主主義とが組み合わされた世界では、絶大な影響力を発揮した。それは、強い憧れの感情を刺激し、所有欲や模倣・同化願望を掻(か)き立て、人にいかに生きるべきかという指針を与える。

 当然、この概念をどのように社会が使いこなすか、という点では、善用悪用を様々(さまざま)に検証する必要がある。

 震災後の東北地域の産業復興の中で、「フィッシャーマン・ジャパン」という、興味深いプロジェクトの立ち上げがあった。「三陸の海から水産業における“新3K”を実行するトップランナーになる 『新3K=カッコいい、稼げる、革新的』」というのがそのコンセプトで、ロゴマークやプロモーション・ヴィデオの製作は、アート・ディレクターの古平正義が手がけ、その「カッコよさ」は、漁業にまつわる通念的なイメージを大きく覆している。

    ◆   ◆

 「カッコいい」化は、その存在に社会的な力を与えるが、それが政治権力と結びつく場合には、懸念も生じる。

 自民党の「#自民党2019」という広告戦略では、首相を始めとした7人の自民党の政治家が、冗談としか思えないほど「カッコいい」化された侍風のイラストで描かれているが、先の参議院選挙のポスターを見ていても、政治家は与野党を問わず、基本的に「カッコいい」化がイメージ戦略の基本となっている。

 「カッコいい」という感覚は、「カッコ悪い」と表裏一体である。私たちが、「カッコいい」服を身にまといたいのは、積極的に「カッコよく」なりたいだけでなく、「カッコ悪い」と思われたくないという不安の故でもある。

 「カッコ悪い」という宣告は、個人に対しては屈辱な一種の暴力だが、しかし、政治の「カッコいい」化戦略に対しては、健全な批評としても機能する。かつては、日本の新聞にも掲載されていた風刺画などはその一例である。社会的に、「カッコいい」とは何かを言語化すべき時だろう。

 【略歴】1975年、愛知県蒲郡市生まれ。2歳から福岡県立東筑高卒業まで北九州市で暮らす。京都大在学中の99年に「日蝕」で芥川賞。「ある男」で読売文学賞。「マチネの終わりに」は秋に映画化。最新刊は「『カッコいい』とは何か」。

   ■   ■

 平野啓一郎さんの連載小説「本心」公開中 西日本新聞webで1日1話ずつ更新しており、朝刊では4日早く読めます。→バックナンバー、インタビュー記事はこちら

PR

PR

注目のテーマ