島原城の石垣解体後、発掘調査なし 市教委が地権者に伝え忘れ

西日本新聞 社会面

 江戸時代に築かれた島原城(長崎県島原市)の堅固さを物語る遺構の一つ、櫓(やぐら)台跡の石垣(高さ約2メートル、幅約10メートル)が取り壊され、文化財保護法に基づく発掘調査が行われないまま宅地になっていたことが分かった。石垣は県史跡の本丸から北へ約500メートルの城敷地内に位置し、市教育委員会は県史跡への追加を目指していた。地権者側から工事の相談を受けた市教委が、調査が必要であると伝え忘れたのが原因。専門家は「貴重な史跡を任せられない」とあきれている。

 島原城の敷地は、家臣の屋敷区画を含む約42万平方メートル(東西約350メートル、南北約1200メートル)。このうち本丸や二ノ丸がある約7万平方メートルが2016年に県史跡に指定された。他のエリアでは宅地化が進み、約30基あった櫓台跡の石垣の大半が姿を消している。

 市教委によると、島原城の敷地のほぼ全域が、同法に基づき開発の際には発掘調査が義務付けられた「埋蔵文化財包蔵地」。昨年10月、地権者側から工事の相談が電話で寄せられ、担当者が「調査が必要」と告げるのを忘れたという。

 地権者側は石垣を取り壊し、住宅と駐車場を整備。今年3月、地元の郷土史家が気付き市教委に連絡したが、市教委から県教委への報告は7月。市教委社会教育課の松本恒一課長は調査が必要と告げ忘れたのは「ミス」とし、報告の遅れは「他の業務に追われたため」と釈明。長崎県文化財保護審議会委員で佐賀大教授の宮武正登氏(城郭史)は「県民の遺産でもある石垣を、発掘調査をせず喪失させた市の責任は重い」と指摘している。

 島原城 1618年に島原藩主松倉重政が築き始め、約7年がかりで主要部を完成させたとされる。多くの櫓を配した構造は「近世城郭の最高傑作」と評される。37年の島原・天草一揆では一揆軍の猛攻をしのぎ、「島原大変肥後迷惑」で知られる1792年の津波災害にも耐える堅固さを誇った。

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