長崎原爆の翌日ルポ 詩人・東潤の直筆原稿を遺族発見

西日本新聞 一面

 長崎原爆で最初の報道記録とされる詩人・東潤(ひがしじゅん)氏(1903~1977)が記した「原爆の長崎ルポルタアジユ 浦上壊滅の日」の直筆原稿が、福岡市に住む長男の昭徳さん(77)宅で見つかった。東氏は原爆投下翌日に長崎市内へ入り、目の当たりにした惨状を克明に書き残した。長崎原爆資料館の奥野正太郎学芸員は「修正や加筆の跡から、どうすれば伝えられるのか、と苦悩した様子がうかがえる貴重な資料」と評価する。

 原稿は今年1月、本棚の風呂敷包みから発見された。400字詰め原稿用紙50枚で、癖のある右上がりの文字でしたためられている。一部は1952年の「記録写真 原爆の長崎」で発表され、55年の「九州文学八月号」に全文掲載された。

 東氏は太平洋戦争末期、日本陸軍の西部軍報道部員で、軍に命じられカメラマンの山端庸介らと調査に向かった。ルポでは45年8月9日午後3時に博多駅をたち、翌10日午前3時に長崎市北部の道ノ尾駅に到着したとある。その後、午後4時すぎまで爆心地や市中心部などを調べた。原稿の序盤に<「悲劇の谷・浦上」の午前三時は、世紀の大暴風が去つた三日月の下にひらく死の砂漠であつた>と、惨禍に見舞われた最初の夜を描いた。

 山口県出身の東氏は、九州文学同人として火野葦平や岩下俊作、劉寒吉らと交流し、シュールレアリスム(超現実主義)に傾倒した。ルポでは詩人らしい表現も散見されるが、惨状をつぶさに伝えることを重視し、被爆者について<自らの足の踵の肉を取られてゐるのも忘れ、骨の足で安全とおぼしい方向へ、無我夢中に、たどたどしい歩みで長い時間をかけて、逃げて来たと思ふいたいたしい姿>などと記した。

 昭徳さんは「幻想的な作風だったが、原爆という大きな惨劇に圧倒され、見たことを正確に記そうと思ったのでしょう」と推し量る。生前、調査の際に助けを求める人が足をつかんで離さなかった、と振り返っていたという。

 奥野学芸員は「長崎原爆の調査のため最も早く外部から入市した一団。客観的な視点で広範囲を調べた最初の記録という点で、非常に貴重な原稿だ」と話している。

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