八幡大空襲 肉声の重み 市民団体「平野塾」が語り部派遣

西日本新聞 北九州版

平野塾代表の出來谷さん(左)と副代表の出口さん。「語り部たちの肉声は、戦争を知らない世代に訴える力がある」と口をそろえる 拡大

平野塾代表の出來谷さん(左)と副代表の出口さん。「語り部たちの肉声は、戦争を知らない世代に訴える力がある」と口をそろえる

 1945年8月8日に市民2500人が死傷した八幡大空襲の語り部活動に尽力する団体がある。被害が大きかった八幡東区平野地区の市民サークル「平野塾」は、地域でも年々薄れゆく大空襲の記憶継承に危機感を抱き、地元出身の有志が中心となって立ち上げた。

 「そーっと防空壕(ごう)から見ると、まぁー火の海。私の家がぼうぼう燃えていた」。2日、門司区の西門司市民センター。集まった地域住人ら約60人は、語り部が震える声で話す体験談に耳を傾けた。平野塾が紹介した93歳と90歳の2人の語り部が八幡大空襲や軍隊時代の体験を語った。終了後のアンケートには「八幡大空襲を今日初めて知った」と打ち明ける言葉もあった。

 平野塾は2014年、平野市民センター(八幡東区桃園4丁目)で行われた聞き書き講座の受講生たちが結成した。講座は八幡大空襲の体験者の聞き書き集を作成するものだったが、米軍機B29が雨のように焼夷(しょうい)弾を投下し、焦土と化す話を聞く度に「体験者たちの証言を1人でも多く集め、充実したものを作りたい」と受講後も活動を継続し、平野塾と名付けた。

 戦後70年の15年には八幡大空襲の被災者37人から聞き取った162ページの証言集をまとめた。平野塾代表の出來谷(できや)通保さん(75)と副代表の出口敬子さん(68)は「平野地区の出身ながら本当の戦争被害は知らなかった」と口をそろえる。

 聞き書きを続けるうちにメンバーたちは「これでよいのか」と悩むようになったという。焼夷弾の落ちる音や化学薬品の臭い、焦げた土の熱…。証言者の声は詰まり、苦悶(くもん)の表情を浮かべる。聞き取りで感じた恐ろしさが、文章だけだと完全には伝わらない気がした。「肉声の重みは違う。戦争を知らない世代に訴える力がある」。同年に語り部の支援活動を始めた。

 平野塾が派遣する語り部は現在、80~93歳の約10人。窓口となって依頼者と調整する。語り部は高齢で、体調面に配慮しなければならない。学校や地域、弁護士など依頼は毎年増え、今年は20件の依頼がある。

 語り部も戦争を知らない世代に実相を伝えようと、焼夷弾の模型を自作したり、地図を描いたりと工夫を凝らす。出來谷さんと出口さんは「誰もが真剣に話を聞いてくれ、活動には手応えを感じる。ただ、語り部たちの高齢化も深刻で、地域が焼け野原になった戦争の恐怖を伝えるのは、時間との闘いでもある」と強調した。

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