ガンダムとナウシカ 大串 誠寿

西日本新聞 オピニオン面

 福岡市でアニメをテーマにした企画展が相次いでいる。市博物館で6月まで、「ジブリの大博覧会」が開催され、宮崎駿監督らの作品が扱われた。入場者数39万人超は同館歴代1位という。続いて市美術館で、「機動戦士ガンダム」の富野監督の仕事をたどる「富野由悠季(よしゆき)の世界」が開催されている。

 宮崎氏と富野氏はともに1941年生まれ。それぞれ別の大学を卒業後、対照的なアニメ制作現場に進んだ。宮崎氏は東映動画に入社して本格的劇場用作品を作り、富野氏は虫プロダクションでテレビシリーズを量産した。

 虫プロで制作された「鉄腕アトム」は初の連続テレビアニメとしてヒットした。しかし生産効率を重視する経営方針は、制作現場に低予算と過重労働を押しつけ、アニメ業界全体の体質を過酷なものに変えてしまったといわれる。

 宮崎氏は、映画界にまで押し寄せた商業主義に失望し、東映動画と袂(たもと)を分かつ。テレビで良質な作品作りに挑みつつも、映画作家としては雌伏を余儀なくされた。

 一方、富野氏はテレビアニメの厳しい条件下で、膨大な仕事をスピーディーにこなすことを自らに課し、演出力を養った。販売促進を求めるスポンサー企業と不即不離の関係を保ち、自身が「低俗ジャンルの代名詞のよう」と語る子ども向けロボットアニメで指揮を執った。

 そして79年、「機動戦士ガンダム」を生み出す。子ども用玩具となる前提でガンダムの造形が受けた制約は、赤青黄の配色、メカが合体する点などに痕跡が見られる。しかし、ドラマは子ども向けとしては規格外の緻密な出来栄えで、再放送のたびに評価は上がり、81~82年に再編集された劇場用映画版3部作は配給収入29億円超を記録した。

 ガンダムに代表されるビジネス的な成功、劇場アニメの盛況は、宮崎氏を銀幕に呼び戻す土壌を準備した。翌83年にオリジナル作品「風の谷のナウシカ」制作が開始され、その後のジブリ作品群へと道を開く。大衆アニメ路線が客層を厚くし、劇場路線が息を吹き返した構図だ。

 福岡市で両巨匠の企画展が続いたことは、アニメ文化における一つの僥倖(ぎょうこう)だ。会場では観客の親子が語り合う姿も見られる。ガンダム、ナウシカは単なる作品名を超え、広い世代で通用する共通語に育っている。両氏は、テレビと映画という立ち位置の違いから区別されるが、日本のアニメを発展させた功績において、相互補完的に表裏の一対をなしている。
 (デザイン部次長)

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