【平和台を創った男・大陸編3】世界探訪 一流人から極意を習得

平和台を創った男-近代スポーツの祖・岡部平太 第4部(3)

 満州をスポーツ王国にするには、選手の育成が急務だった。その方法を学ぶために、岡部平太は「一流人とぶつかってみないと、極意はつかめない」と満鉄幹部を説き伏せ、世界一周の旅に出る。

 岡部が大連をたったのは、1923(大正12)年12月。それから8カ月間、事前の約束もせず、世界のトップ選手と指導者の元に飛び込んでいった。

 ハワイを経由して年が明けた1月には、米国シカゴに到着。会ったのは、水泳の100メートル自由形世界記録保持者、ジョニー・ワイズミュラーだった。

 岡部は、ミシガン湖近くのプールで、当時19歳のワイズミュラーからクロール泳法を学んだ。手のかき方や息継ぎの指導を受けたという。「日本人でクロールを習ったのは、おそらく私が初めてだろう」と岡部は語っている。ワイズミュラーは後に映画「類猿人ターザン」の主役を務めて人気俳優になった。

 次に欧州へ渡った岡部は、フィンランドのヘルシンキに向かった。中長距離で「無敵の王者」と言われていたパーヴォ・ヌルミの走りを見るためだ。

 すると、ヌルミはストップウオッチを手にして走っている。不思議に思った岡部が理由を尋ねると、ヌルミは「勝つために一番効果的なのは、緩みのない一貫したペースで走り続けることだ」と話したという。

 ヌルミのコーチ、ヤコウ・ミッコラからは、科学トレーニングを学んだ。スピード練習には、インターバル走や起伏の激しいクロスカントリーが最適だという。いずれも当時の日本にはない練習法だった。

 サーフィン、ゴルフの一流選手からは実技を教わり、バスケットボールやアメリカンフットボール、アイスホッケーの専門家に会って戦術を研究。コーチングには感覚論ではなく理論が重要であることを再認識したという。欧州の女子体育やダンスも視察した。

 「この旅は大きな財産となった。世界を見据えていくことがいかに大事かを知った」

 岡部はそう振り返る一方で、「家族には寂しい思いをさせた」と語っている。大連には、妻のステと3歳の長女鞠子、1歳の長男平一を残していた。

 世界探訪の終点は、フランス。その年の夏に開かれるパリ五輪を観戦するのが目的だった。しかし、岡部はそこで思わぬ事件に巻き込まれることになる。 (文中、写真とも敬称略)

=2019/08/08付 西日本新聞朝刊=

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