【動画あり】慰霊碑が築いたオランダとの友情 交流24年に幕 福岡

西日本新聞 夕刊

 第2次大戦中に炭鉱などでの強制労働で死亡したオランダ人捕虜らの慰霊碑「十字架の塔」(福岡県水巻町)が縁となって始まった日蘭の若者交流が今夏、24年の歴史に幕を下ろした。オランダで日本人を受け入れてきた市民団体の人手不足が理由だが、これまでに往来した若者は250人に上り、両国を橋渡しする人材を育んできた。最後の訪日団を率いて、7月に町を訪れたペトラ・レメインさん(25)は「不幸な歴史から始まったが、日蘭に揺るぎない友情を築いた」と力を込めた。

 台風の接近で小雨の散る7月19日、訪日団の若者が十字架の塔に白菊を手向けた。リケルト・ラスさん(17)は江戸時代から続く日蘭の交流に触れ「二度と両国間に戦争が起こらないことを望みます」と語った。

 交流のきっかけは、戦時中の強制労働で死亡した約870人の外国人捕虜を祭る「十字架の塔」。水巻町にあった日本炭礦(たんこう)高松炭鉱が戦後、連合軍の戦犯調査を恐れて建てたのが起源とされる。同炭鉱で働かされていた元オランダ軍兵士の故ドルフ・ウィンクラーさんが1986年に訪問したことを契機に建て替えられ、87年以降、町内の市民団体が慰霊式をほぼ毎年実施。友好関係の礎となった。

 交流は96年、ウィンクラーさんの出身地、ノールドオーストポルダー市と水巻町の間で始まった。5年の予定だったが、趣旨に賛同した同市民が市民団体「日本友の会」を設立。2001年以降、会がボランティアで日本の若者を受け入れ、日本側は水巻町が事業として継続してきた。

 町からは中学生が、同市からは中高生に当たる生徒が原則隔年で10人ずつ相互訪問。水巻町の中学生は平和学習を重視し、第2次大戦中、ナチス・ドイツのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を逃れるため、ユダヤ人のアンネ・フランクが身を寄せた隠れ家(アムステルダム市)をほぼ毎回訪問。同年代の少女が理不尽に死なねばならなかった歴史を直視してきた。

 ホームステイ先で家庭料理を食べ、地域の観光名所を訪れるなど、お互いの普段の姿を知ることも重視。約10日間の日程が終わると「最初は言葉がうまく通じなくても、最後はホストファミリーと泣きながら別れる」(同町)といい、帰国後20年以上連絡を取り合う参加者もいるという。

 定着してきた草の根交流だが、「日本友の会」のメンバーが会長のレメインさんを含め2人に減り、寄付金も減少。参加希望者は多いが、継続を断念することになった。レメインさんは「中止は残念だが、子どもの目を世界に向ける役割を果たした」と話す。

 1996年にオランダへの最初の訪問団に参加した平亜梨亜さん(37)=北九州市若松区=はオランダで聞いた黒人音楽に引かれ、レゲエ歌手となった。「目や肌の色は違っても、同じ人間としての暮らしがあった。この気持ちがあれば、戦争は起きないはず」と話した。

 最後の訪日団12人は、町内の中学校で交流した後、大分県の別府温泉や北九州市の門司港レトロなどを訪れ、7月29日に帰国した。町は何らかの形で若者交流の継続を模索する考えだ。

 2009年以降に計6回、訪日団に参加・同行したことを機に、町で3年前から外国語指導助手(ALT)として働くダビット・プルドンさん(26)=同市門司区。日本の文化と言葉に強く引かれ、永住を望んでおり、祖父世代の犠牲者の魂を悼む塔にこう誓っている。「交流は終わっても、自分たちが懸け橋となって築いた日蘭の友好を次世代につなげていきたい」

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