友の手記に不戦誓う 長崎の惨状 命削りつづる 入市被爆の吉牟田さん

西日本新聞 社会面

 長崎原爆で家族を亡くし、自身も入市被爆した男性が、74年前の8月9日に地獄と化した長崎市の惨状をつづった級友の手記を大切に保管している。2人はともに、爆心地近くの同市浦上地区に住んでいた。友は手記を託した後、務めを果たしたかのように亡くなった。「命を削って書いた手記」。その重みを手にするたび心に誓う。「戦争は絶対にしてはならない」と。

 男性は佐賀県鹿島市に住む吉牟田邦茂さん(89)。手記を書き残した小川繁さんは長崎市の山里小、旧制長崎中で同級生だった。

 あの日、吉牟田さんは福岡海軍航空隊の予科練生で長崎県佐世保市の周辺に駐屯。小川さんは学徒動員で、爆心地から約6キロ離れた長崎市戸町で軍需品を作るトンネル工場にいた。2人の家族で生き残ったのは小川さんの母親だけだった。

 中学卒業以来、再会したのは2002年。神奈川県にいた小川さんからの電話がきっかけだった。互いに行き来し合うようになり、吉牟田さんが「記憶力のある君が回想録を書いてみないか」と勧めたという。

 ≪黒く焼けただれた皮膚がワカメのように体にぶら下がって「水をくれ!!」と叫ぶ者≫≪両手に下駄(げた)を持って道路上の負傷者、遺体の上を夢中で走った(中略)心の中で手を合わせて駆け抜けた≫≪助けを求める負傷者の声は時間の経過と共(とも)に細くなり、やがて消えていった≫

 原爆症と認定された小川さんは入退院を繰り返すようになった85歳の時、1日2~3時間かけて便箋に向かい、60枚を書き上げた。炎に包まれた長崎の街。がれきをやぐらにして弟妹や地域住民を次々火葬したこと。遺体の腐敗が進み「呼吸することも苦痛」だったこと。イラストも添えた。

 完成した手記は郵送で届き、程なく小川さんは逝った。「何としてもあの地獄を書き残さねばとの思いが強かったのだろう」。命を縮めてしまったのではないかという自責の念にもかられ、5年ほど大切に手元に置いてきたが、自身も卒寿を前にし、強く思うようになった。「核兵器の惨禍を二度と繰り返してはいけないという彼の思いを継がなければ」。手記は長崎原爆資料館への寄贈を考えている。

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