原子野の臭い 山本 敦文

西日本新聞 オピニオン面

 人間の五感で最も敏感なのは嗅覚という。私たちがにおいをかぎ分ける際に使う嗅覚受容体は約400種。視覚は明暗と赤、青、緑の3色を区別する4種、味覚は甘みや苦みなど約30種しかないためだ。

 だからだろう。人はにおいを手がかりに埋もれた記憶を掘り起こす。心理学では、マドレーヌを浸した紅茶を口にした主人公が幼少期を振り返る小説「失われた時を求めて」の作者にちなんで、プルースト効果と呼ぶそうだ。

 長崎県諫早市の郷土史研究会「諫早史談会」会長、古賀力(つとむ)さん(88)にとって、74年前の臭いは地獄絵図の記憶とつながる。「あれは原子野特有の臭いだったんでしょうね。死臭とも違う。忘れようにも忘れられないし、伝えようにも伝えられないですよ」

 長崎原爆が投下された1945年8月9日。旧制長崎中の3年生だった古賀さんは、勤労動員された三菱長崎造船所に部品を運ぶため、同級生と長崎市中町付近にいた。空にB29の飛行音、舞い降りる落下傘、そして閃光(せんこう)…。爆風で吹き飛ばされた。

 炎上する市街地を避けて背後の山の尾根伝いに逃げた。廃虚と化した街が眼下に広がった。上昇気流で噴き上がったごみが混じる黒い雨が降り注ぎ、服が真っ黒になった。

 夜、やっとの思いで家族の元に戻ると、母親が古賀さんを抱きしめた瞬間、叫んだ。

 「兄ちゃん、この臭いはなんねっ」

 原子野の臭いについては、原爆投下翌日に入市被爆した元長崎大学長の土山秀夫さん=2017年死去=も、かつての講演でこう語っている。

 「死体を焼く臭い、焦げくさい臭い、その他散乱している腐敗死体の臭い、そういったものが一斉に襲ってまいります」。写真や映像は当時の惨状をくまなく伝えるが「ただ一つ伝えられないのは、この臭いでございます」。

 古賀さんは翌日、親類の安否を確かめに再び被爆地に足を踏み入れた。あちこちで黒焦げの遺体の山を見た。後に警察官となり、殺人や火災の現場に立ったが、あの臭いをかぐことはなかったという。

 街をさまよう日々の中で、口にしたのは救援隊が支給するにぎり飯と大根漬けのみ。「だから、今も大根漬けは食べられんのよ。臭いがよみがえってくるから」

 古賀さんが語る臭いとは、どんなものだったのか。恐らく人類が、あの8月まで一度もかいだことがない臭い-。

 想像しなければならない。被爆者の記憶を、私たちが受け継ぐために。長崎は74回目の原爆の日を迎えた。
 (諫早支局長)

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