人は弱いものだから過ちくり返す 平和宣言に被爆者の詩 長崎市・山口カズ子さん

西日本新聞 夕刊

 「あの日」から74年の歳月が流れた。たった一発の原子爆弾で灰となった長崎には、黒焦げの死体とがれきの山が残った。大やけどを負いながら何とか生き延びた被爆者。肉親を捜し爆心地をさまよった人たち。むごたらしい記憶を伝える語り部。原爆は人間らしく死ぬことも、人間らしく生きることも奪った。核兵器を巡る国際情勢がより不安定になる中で迎えた「8・9」。ナガサキに集った人は何を思うのか。 

 《幾千の人の手足がふきとび 腸(はら)わたが流れ出て 人の体にうじ虫がわいた》。長崎平和宣言は、17歳で被爆した山口カズ子さん(91)=長崎県長与町=の詩で始まった。母と妹2人の家族全員を奪った原爆の記憶。自身も大やけどを負い、父親は幼少期に亡くしていた。《人は忘れやすく弱いものだから あやまちをくり返す》。40年前に紡いだ言葉は国際社会への警鐘でもある。

 長崎への原爆投下から74年を迎えた9日朝、山口さんは母校の純心女子高(長崎市)で開かれた純女学徒隊慰霊祭に参列した。三つ下の妹、園子さんは前身の女学校3年だった。氏名が刻まれる「学徒隊殉難者の校墓」前で一礼すると、家族の姿が思い出された。

 1945年8月9日。女子挺身隊(ていしんたい)として兵器工場に動員されていた山口さんは空襲警報が解除され、避難先から工場に戻った。着替えを済ませ机に向かったところ、窓の外がピカッと光り、直後に気を失った。目が覚めると天井板や、木材の下敷きになっていた。

 「何が起きたか見当もつかず逃げるしかなかった」。木陰にたどり着くと黒焦げになった腕に気付き、ずるっとむけた皮をその場に捨てた。痛みを感じる余裕さえない。自宅がある爆心地方面が真っ赤に燃えているのが視界に入った。

 運び込まれた同県諫早市内の療養所では、しばらく寝たきりで過ごした。外傷もない同級生の体にも紫色の斑点ができ、次々と息絶えていった。やがて生存者は山口さんだけとなった。

 季節が変わり、長崎市の親族宅に引き取られると、母と妹2人の葬式が済んだと聞かされた。庭に飛び出し、声を殺して泣いた。家族を捜すことも、遺骨を拾うこともできなかった。「なぜ一人だけ生き残ったのか」。苦しみが癒えることはなかった。

 平和宣言に引用された詩は、生活がどうにか安定した79年、晴れた空を見上げた時にわき上がった心情をつづった。複雑な世界情勢が絡んで「核兵器なき世界」が遠いのは令和の時代になっても変わっていない。

 平和祈念式典は遺族席から見詰めた。「この地で起きたことをかみしめている」。74年前のようにじりじりと日差しが照り付けた。

 《このことだけは忘れてはならない このことだけはくり返してはならない どんなことがあっても…》 

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