「平和を訴え続ける」 被爆者の平均年齢、82歳超える

西日本新聞 夕刊

「平和の泉」の前で手を合わせる井上勇さん(左)と藤本竹次さん=9日午前9時28分、長崎市の平和公園 拡大

「平和の泉」の前で手を合わせる井上勇さん(左)と藤本竹次さん=9日午前9時28分、長崎市の平和公園

 全国の被爆者の平均年齢は82歳を超え、各地から長崎まで訪れることが難しくなっている。それでも「故郷で手を合わせたい。祈りたい」との一心で、9日の平和祈念式典に臨んだ人たちがいる。

 東京都武蔵野市の藤本竹次さん(85)は初めて参列した。東京で被爆者や家族が集う「東友会」に所属。都内で体験を語っているが、近年、会員が相次ぎ鬼籍に入った。「自分もいつまで語れるか分からない」。故郷の地で亡くなった人たちの思いを受け止めたい、祈りたい、と考えた。

 あの日、爆心地から4・2キロの相生町にいた。地響きを感じて目をふさぎ、草むらにうつぶせ、大けがは免れた。家族も無事だった。だがそこで目にしたのは、黒い雲、火の海、遺体を運ぶ人々。友人と一緒に「恐怖で泣いた」。

 つらい記憶を振り払うかのように、長崎商高で野球に打ち込み、春夏計2回甲子園に出場。地元の銀行に勤めた後、上京してがむしゃらに働いた。「若者がスポーツや勉強に打ち込むためには、平和でないといけない。体力のある限り、語り部を続けたい」。祈念式典で思いを新たにした。

 千葉県市川市の井上勇さん(88)は3年ぶりの参列だった。高齢になり「もう最後かもしれない」と3度目の今回、感じている。爆心地から1キロで被爆したその日は油木町の防空壕(ごう)で過ごし、翌日、おぶわれて住吉町の実家に帰った。道中の光景が今も夢に出る。

 「水をくれ」と足をつかむ人、人、人。100人は超えただろうか。そのたびに「必ず後で持ってきます。手を離してください」と返したが、届けることはできなかった。「あんな言葉、軽々しく言うもんじゃなかった」

 後悔の念は消えず、今年も思いがしっかりと届くよう、故郷の空の下で手を合わせた。「ごめんなさい。あの体験を自分の言葉で伝え続けています」 

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