父出征時の旗 75年ぶり戻る 若松区の前田さんに 元米兵宅で保管

西日本新聞 北九州版

 第2次世界大戦中に旧陸軍に従軍し、南大東島で終戦を迎えた旧若松町(現北九州市若松区)出身の前田健一さん=享年(85)=が出征時に持っていた日章旗が今夏、約75年ぶりに故郷に戻ってきた。行方が分からなかった日章旗は、元米兵の男性の家で保管されていた。日章旗を受け取った息子は、喜びと終わることのない戦後へ思いをはせている。

 日章旗は縦約70センチ、横約100センチ。健一さんの名前とともに「昭和十九年四月一日」とあり、出征時に書かれたとみられる。「祷武運長久」「忠誠貫徹」などの文字のほか、地元住民約50人の名前がある。

 日章旗を返還したのは、米中西部ミシガン州在住のエリカ・カーメソールさん。第2次世界大戦で戦った元米兵の祖父の持ち物だったという。旧日本兵の遺品の返還活動に取り組む米国のNPO団体「OBON SOCIETY」を通して、健一さんの長男俊朗さん(76)=若松区本町=に渡された。ただ、どのような経緯で日章旗が元米兵の手に渡ったかは不明なままだ。

 俊朗さんによると、健一さんは日中戦争(1937~1945)に2度召集され、復員。旭硝子(現AGC)社員だった44(昭和19)年春に、旧陸軍に三たび召集されて沖縄本島へ向かった。鹿児島から出港後、先導の船が攻撃を受けて沈没。部隊を乗せた船は沖縄本島から東へおよそ350キロ離れた南大東島にたどり着いた。以後、終戦を経て故郷に帰るまで現地で過ごしたという。

 南大東島に着いてからは、部隊で防空壕(ごう)掘りや、イモなど食物の栽培を行っていた。終戦間際に米軍の艦砲射撃を受けた以外は、目立った戦闘に巻き込まれなかったという。それでも家族とは音信不通で、生死も分からなかった。

 当時幼かった俊朗さんに兵隊としての父の記憶はないが、47(同22)年春に引き揚げ船で戻った父を、玄関で迎えたことは今でも覚えている。「当時は誰もが父の戦死を覚悟していたと思う。出迎えたときの祖父母や母の心情を思うと胸が痛い」と目を潤ませる。

 健一さんは帰郷後、家業のお茶販売業を継いで2代目に。99年に85歳で旅立った。生前、戦争中のことはあまり話さなかったという。

 「父も日章旗も戻ってきた自分はとても幸運。まだ遺骨すら戻ってこない人もおり、戦後は終わっていない」と話す俊朗さん。返ってきた日章旗は今、仏壇に供えられている。

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