考察の対象と方法 幅広げる 中野和典氏

西日本新聞 オピニオン面

福岡大人文学部教授 中野和典氏 拡大

福岡大人文学部教授 中野和典氏

◆原爆文学研究

 今年も原爆忌を迎えた。こうして私たちがあの日のことを記憶しようとするのは、原爆が単なる過去の出来事ではないからだろう。もう昔の話ではないか、と思う人もいるかもしれない。確かに、米国が広島と長崎に原爆を投下したのは74年も前のことである。しかし、心身に傷を負ったまま、その長い時間を苦しみ続けてきた人々がいる。また、原爆=核兵器は戦後ますます威力を増し、その保有国をじわじわと増やしながら今も世界の「秩序」を形作っている。原爆を昔話と思うのは、そのような現実に目を背けることにほかならない。

 そう考えても原爆は遠い。その遠さに対峙(たいじ)する思いでこの18年間、原爆文学研究会を続けてきた。2001年に当時九州大教授であった故・花田俊典氏の呼びかけによって始まったこの会は、これまでに59回の研究会を開き、延べ250人余りが個人発表やシンポジウムなどを行って議論を重ねてきた。原爆文学という話題だけでそんなに会を開いてマンネリ化しないのか、と思われることだろう。しかし、それはなく、むしろこの問題の多様さと深刻さを痛感するばかりなのである。

 会の発足時の会員は約20人、九州の日本近代文学研究者が多かった。現在の会員は70人を超え、米国や台湾など海外からの参加も増えている。その専門分野も英米文学やヒンディー語文学など多言語化し、文学だけではなく歴史学、社会学、文化学などに広がっている。

 このような参加者の広がりは、考察の対象と方法の幅を広げることにつながっている。たとえば「ひばくしゃ」は、広島と長崎だけでなく、国内外への移住、ウラン採掘、核実験、原発事故などによって様々(さまざま)な地域に散在している。さらにエコクリティシズム(環境批評)の視点から言えば、動植物など人間以外にも存在している。それらの具体的なありさまや関係の複雑さは、会への参加者が多様になるにつれて少しずつ見えてきたものである。

 なぜ、原爆文学研究を題目とする会に様々な分野の人が集まるのか。それは簡単には説明できない。確かなのは、原爆も文学も狭く考えると何かを見逃してしまい、その何かとは多くの場合、声を奪われた存在であるということである。まだ見ぬものも含めて、残された課題は多い。

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 中野 和典(なかの・かずのり)福岡大人文学部教授 筑紫女学園中学・高校、佐世保高専の教員を経て2011年から現職。01年の原爆文学研究会の発足時から事務局長を務める。専攻は日本近代文学。

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