戦争末期の遺構ひっそりと 中津の「防空監視哨」跡

西日本新聞 大分・日田玖珠版

 中津市・永添運動公園近くの畑の片隅に、側面5カ所に四角い穴が開けられた異様な形のコンクリート構造物が残っている。周辺には戦前、巨大な航空機用ジュラルミン製造工場があり、工場を狙う米軍機を見張る「防空監視哨(しょう)」だったという。終戦から74年。畑の所有者で、自身も陸軍特攻要員だった高尾美次さん(90)=同市永添=は「中津で戦争遺構は少なくなっている。残していきたい」と話す。 

 中津市史などによると、陸軍機用ジュラルミン増産のため1943年12月、神戸製鋼所の中津工場が操業を開始。敷地面積255ヘクタールで同市鶴居、大幡両地区一帯に広がっていたという。10棟以上の工場群をはじめ、事務所棟や職員寮、耶馬渓鉄道からの引き込み線や駅舎なども備えていた。事実上陸軍が経営する形で、最盛期には6千人の従業員が働き、月800トンの航空機用ジュラルミンを生産していたという。44年7月のサイパン島陥落後、米大型爆撃機B29による本土空襲が危ぶまれる中、急きょ同年末に「防空監視哨」が建設されたという。

 監視哨は高さ約2メートル、直径約3メートルの円すい形。側面5カ所に縦10センチ、横40センチののぞき窓がある。物資不足からか木筋コンクリート造りと見られ、一部は木筋が露出している。内部には大人が数人入れるスペースがあり、上空を監視していたとみられる。

 44年9月に既に志願兵として陸軍に入隊していた高尾さんは「父が亡くなり詳細は分からないが、陸軍が畑の一部を勝手に接収して造ったんだろう」と語る。結局、工場への大規模爆撃はなかったが、物資輸送が途絶え終戦時は一部が稼働するにとどまったという。

 終戦と同時に工場は操業を停止し、800人を収容した職員寮は米軍進駐後に解体。今では関連施設もほとんど姿を消し、跡地には現在、工場や運動公園などがある。往時が分かるものはほとんどない。

 米軍の九州上陸に備え、宮崎県日南市で陸軍特攻艇要員として死を覚悟していた高尾さんは「当時の軍部はすべて場当たり的だった。あの木筋の建物はその象徴のようなもんだよ」と述懐する。福岡県築上町の生涯学習課参事で文化財保護に長年携わる長男の栄市さん(57)は「戦時中、中津に巨大工場群があった史実を知る人は少なくなった。戦争遺構として大事に守っていきたい」と語った。

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