戦争も飢ゑも遠くに忘れつつ… 歌人の馬場あき子さん魂の歌

西日本新聞 社会面

 15日で敗戦から74年。現代を代表する歌人の馬場あき子さん(91)=川崎市在住=は17歳の頃、米軍の空襲で自宅を焼け出された経験がある。若山牧水賞(宮崎県など主催)の選考に長く携わり、九州にもゆかりのある馬場さん。戦争体験を次世代にどう伝えていくべきか、聞いた。

 馬場さんの青春は戦争と重なる。太平洋戦争の開戦は東京の高等女学校2年、13歳の時。学徒動員で1944年から中島飛行機の都内にある工場の寮に入り、昼夜交代で飛行機のエンジン台座を作った。その年の秋から工場への空襲が相次ぐ。防空壕(ごう)から出たら人が倒れていることもあった。同じ学校の生徒が爆風で飛ばされ精神的に不安定になったり、別の男子校の生徒が防空壕に生き埋めになり救助されたりしたという。

 45年4月13日、両親と3人で住む東京・高田馬場に焼夷(しょうい)弾が落ち、自宅を焼失した。

 <焼けはててのこるものなき家のあとに炭をひろふと我はたちたり>

 「焼けた柱があって、何もないからせめて炭でも拾おうとして炭を拾い、たき火をして暖をとったのね。配給も何もない。国家は労働を強制するけれど、こんな状況になったら何もしてくれない。戦争とは、丸裸にさせられておっぽり出されるということ」。平成の初めまで、焼夷弾が落ちてくる夢を見たという。

 <昭和とは何であつたか国家とは何を強(し)ひたか 焼けた桜よ>

 「戦争とは狂気。あんな大国となぜ戦争ができたのか、不可解だった。戦争が始まったら、国民全員が狂気にさせられる。一億火の玉と、狂わなきゃ生きていけない」

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 馬場さんは、憲法9条の堅持と戦争反対を機会あるたびに訴えている。「次々と法令が作られ国家統制が強まった戦前と、今は似ている。自由な主張が閉ざされつつあるのではないか。『表現の不自由展・その後』がつぶされたのは象徴的な出来事。一寸先は闇と思うから、今後も戦争のことを話したい」

 <戦争も飢ゑも遠くに忘れつつ混沌(こんとん)として肥えてまづしく>

 <都市はもう混沌として人間はみそらーめんのやうなかなしみ>

 将来を担う若者に、戦争体験を聞きたがらない空気を感じるのが気掛かりだ。

 「日本の明日がどうなるか、世の動きを見て考えてほしい。今の戦争はもっと厳しい。絶対戦争をしてはいけない」

 ばば・あきこ 1928年生まれ、東京都出身の歌人、文芸評論家。短歌結社「かりん」主宰。歌集「葡萄唐草」(迢空賞)、「世紀」などを刊行。著書に「鬼の研究」など。古典や能に造詣が深く、新作能の制作にも取り組んできた。紫綬褒章受章。日本芸術院会員。

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空襲ですべてを失った体験が原点

 馬場さんの弟子で歌人の福岡女学院大准教授・桜川冴子さんの話 軍需工場の学徒動員で戦争に加担し、空襲ですべてを失った体験が馬場先生の原点。焼け跡からどう生きていったらよいか。戦争犠牲者、困難を生きる者を「焼けた桜」に重ね、来し方行く末を問う。悲しみや恐怖、むなしさ、怒りを歌い続ける。戦争は勝っても負けても破滅に通じる愚行だと、血肉のところから語っている。

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