「謎のビル」戦争に翻弄され 「鉄都」八幡で90年

西日本新聞 社会面

 八幡製鉄所の「企業城下町」として栄えた北九州市八幡東区西本町にある築約90年のビルの解体・撤去が今月中に始まる。呉服店として建設され、戦争に翻弄(ほんろう)されながら所有者を変え、戦禍に耐えて残ったビル。いつしか住民の記憶から消えた「謎のビル」として本紙で紹介したところ、最初の所有者の親族から連絡が寄せられた。ビルは戦中に国に接収され、所有者は苦しい生活を送ったという。

 昭和初期の建築で、鉄筋3階建て。土地台帳では「中本呉服店」「八幡製鐵所」「八幡市」と所有権が移っていた。約2500人が死傷した八幡大空襲(1945年8月8日)でも焼け残り、戦後は授産所に。ビルは戦前の鉄都の繁栄、戦争、戦後の復興と変わりゆく街を見守り、令和に姿を消す。

 ビルを建てたのは中本弥三郎という人物。ひ孫の清水明子さん(53)=千葉県=によると、中本は呉服店を創業し、兵庫県や京都府、旧満州にもビルを所有した。暮らしは豊かで、当時の広告では「北九州一の呉服店」とうたっていた。

 幼い頃、中本と一緒に八幡に住んでいた孫の坂本愛子さん(82)=同=は街のにぎわいを覚えている。「呉服店はデパート形式で繁盛していた。店の前の道も製鉄所に通う人でいっぱいだった」と懐かしむ。

 戦争が、生活を暗転させた。資源不足を補う「金属類回収令」に従い、中本は所有する金属とともにビルまでも供出した。長男が出征しており「『お国のためなら』との気持ちもあったのではないか」と坂本さんは推察する。商売は継続不能に陥り、一家は京都に疎開。戦後、かろうじて手元に残っていた呉服を売ったり、畑を耕したりしてしのいだという。

 中本は1962年に90代で他界。戦争について語っていた記憶は親族にもない。ビルが北九州に残っていることは今回の報道で知った。清水さんは「近々、残っている曽祖父の胸像や写真を処分し、区切りをつけるつもりだった。何か、不思議な縁を感じる」と話した。

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