終戦の日 歴史に学び「不戦」後世へ

西日本新聞 オピニオン面

 「戦後」の2文字が時代の流れとともに重みを増しています。未曽有の犠牲を伴った先の大戦の記憶は確実に薄れつつあります。

 歴史の教訓が軽んじられていないか。国際社会の緊張と日本の防衛力強化が進む中、時代は新たな「戦前」へと転化していないか。

 令和最初の「終戦の日」に当たり、私たちはこの問いに真(しん)摯(し)に向き合い、揺るぎない不戦の誓いを次代に継承していく使命を、再確認したいと思います。

 ▼高齢者も戦争知らず

 「元号が代わり、昭和はさらに遠くなりました。昭和を生き抜いた人々が次々と鬼籍に入る時代を迎え、散逸する資料の収集はますます重要性を増しています」

 東京・九段の「昭和館」のパンフレットはこう訴え、戦争体験者らに資料の寄贈を求めています。

 同館は昭和10~30(1935~55)年の暮らしの記録約6万点を収蔵する国立の施設です。兵役の召集令状、食料の配給切符、節約のための粗末な代用品…。館内ではこれらの実物や、空襲、疎開、引き揚げなど国民の労苦を記録した写真や映像を展示しています。

 あの戦争は特定の場所、期間に限定された一過性の悲劇ではありません。日米開戦前の日中戦争の頃から国民生活は統制され、その困窮、混乱は戦後まで尾を引きます。昭和館はその記憶を紡ぎ、後世に伝える役割を担っています。

 しかし、近年は戦争体験者の子や孫からの資料提供が多く、体験者本人の証言を聞くことが難しくなってきています。人口統計によると、戦後生まれが8割余を占めています。高齢者といっても約3600万人いる65歳以上の人の半数近くは、戦争を知りません。

 ▼終わっていない悲劇

 北はロシア、南はパプアニューギニア、そして東南アジア、インド、モンゴル、中国大陸…。見渡すと戦争の無謀さと政府の無責任ぶりが際立ちます。かつての戦地で今も眠る戦没者の遺骨分布を厚生労働省が記した地図です。

 海外での戦没者は240万人に上ります。うち帰還した遺骨は128万柱、残りの112万柱は放置された状態です。収集は遅々として進まず、戦後71年を経た2016年に、ようやく国の責務を定めた遺骨収集推進法が制定されました。それでも進展のめどは立たず、今春には事業の促進を図る検討会議が設けられています。

 「まだ見ぬ肉親を求めて」。厚労省のホームページは、こんなタイトルで1500人余の名簿を掲載し、情報提供を求めています。彼らはいまだに身元が判明しない中国残留孤児たちです。一方、中国では旧日本軍が残した数十万発の化学兵器を発掘、処理する作業が続いています。こちらも終了のめどは立っていません。

 こうして見ると、戦争の惨禍は途方もなく大きく、また幾重にも連鎖し、悲劇はなお続いているという現実に突き当たります。

 ▼決して筆を曲げずに

 来夏の東京五輪まで1年を切りました。そこで若い世代に知ってほしいことがあります。もともと東京で1940年に予定された五輪が、なぜ幻に終わったのか。

 東京開催が決まった翌年の37年に日中戦争が本格化します。戦況は泥沼化し、戦費が増大する中、日本は五輪返上を決めます。結果的に平和の祭典より戦争の続行を優先し、それが日米開戦、そして悲惨な敗戦につながったのです。

 インターネット上では今、歴史資料を含めて膨大な情報が流れています。ところが日本人の視野はむしろ狭くなっている、と歴史家らは指摘します。自分の関心事だけを追い、全体像をつかんだり他者の立場を考えたりする想像力は低下している。その結果、「あの戦争は正しかった」といった言説を信じ、それを否定する人を「反日」呼ばわりする-。そうした風潮が目立つからです。

 今、米国をはじめ大国の「一国主義」が世界を席巻しています。国際協調の歩みは後退して排他主義が横行、テロや核開発の動きも拡散しています。日本の外交・安全保障政策は米国追従のままでよいのか。本来の役割を見失っていないか。記憶の風化が進む今こそ歴史から謙虚に学び、平和の尊さを見据える想像力が必要です。

 報道機関がかつて国家権力に屈し、軍国主義に加担した史実も消えることはありません。その反省に立てば、報道の最大の使命は「権力を監視し、日本に二度と戦争をさせないこと」に尽きます。

 時代がどう変わろうと、筆を曲げてはならない。そのことも私たちの誓いとして肝に銘じます。

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