平和台を創った男 岡部平太伝 第4部(10)沖縄特攻 母の思い出胸に大空へ

西日本新聞 ふくおか都市圏版

 学徒出陣した岡部平太の長男平一は1944(昭和19)年9月、朝鮮半島の元山航空隊に配属された。その1カ月後、海軍の航空機による体当たり攻撃が、フィリピン沖で一大戦果を挙げる。「神風特攻隊」の始まりだった。

 敗戦が近いことを察した岡部は翌年1月、上京して首相の小磯国明や軍幹部と面談。戦争終結を直談判するが、思いは届かなかった。

 平一の部隊は4月4日、鹿児島県の鹿屋航空基地に移動。沖縄戦で特攻するために待機していた。平一はそこで、瀬野(旧姓島田)キヨ子(92)に出会う。

 平一は、先に特攻した戦友から託された言葉を伝えようと、鹿屋に住む戦友の婚約者を呼び出したが留守だった。キヨ子は婚約者の妹で当時18歳。姉の代わりに待ち合わせ場所に向かったのだった。

 5日昼すぎ、基地から少し離れた畑だった。キヨ子が「ご両親はお会いになりたいでしょうね」と尋ねると、平一は「父は諦めていると思いますが、母が…」とうなだれたという。平一は「元気に出撃した」と両親に手紙で伝えてほしいと頼み、日記を託した。

 ちょうど満開の桜を眺めながら、平一は言った。

 「後のことは頼みましたよ」

 「はい、ご両親へのお便りですね」とキヨ子がうなずくと、平一は笑みを浮かべながら答えた。

 「いえ、後の世の中のことですよ」

 キヨ子は、この言葉が今も忘れられないという。

 特攻隊の宿舎は、キヨ子が間もなく教員として赴任する小学校だった。数日後、キヨ子が訪ねると、平一が1人でオルガンを弾いていた。曲は「あめふり」。

 その時、隊員の声が聞こえた。

 「岡部、出撃だぞ」

 平一は22歳で沖縄の空に散った。

 終戦の2年後、岡部がキヨ子を訪ねてきた。あの畑に案内すると、岡部は平一が座っていた場所に突っ伏し、草むらをさすって泣き叫んだ。

 「平一よ、平一よ…」

 平一が最後に弾いた「あめふり」は、母ステや妹の瑠璃子と一緒によく歌っていた曲だったという。

 岡部はキヨ子に歌を記した紙を渡した。

 「急降下、突き入る時し 母の名を 呼びつづけけむ、あわれ平一」

 岡部はその後も平一の話になると、人目もはばからず泣いた。長男へのこの鎮魂の思いは、福岡市の「平和台」創設へとつながっていく。 =文中、写真とも敬称略

 【第4部終わり。戦後の岡部の活躍を描く第5部に続く】

※小説「Peace Hill 天狗と呼ばれた男 岡部平太物語(上)」(著者・橘京平、幻冬舎刊、1,200円)が好評発売中

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