降伏機トラブルの謎 上別府 保慶

西日本新聞 オピニオン面

 8月15日の終戦を巡り、陸軍には負けを認めない反乱の動きがあったことは、映画などでよく知られている。

 海軍も同様で、むしろこちらの方が混乱は長引いた。18日に、米軍機が進駐準備で関東に飛来すると、反乱部隊の戦闘機隊に迎撃され、乗員の米兵1人が死亡している。

 この時、日本政府は、連合国軍のマッカーサー司令部があるマニラに、降伏軍使を送る準備に追われていた。使者には陸海軍の将官と外務省幹部が選ばれ、一行を運ぶ飛行機には海軍の一式陸上攻撃機2機を使うことにした。

 この降伏機の機体は、米軍の指示で真っ白に塗られ、翼や胴に緑十字のマークを描いた。これは目立つ。反乱部隊の拠点となっていた厚木航空隊(神奈川県)の戦闘機に銃撃され、穴だらけにされた。

 急ぎ、新たな2機を準備して19日、千葉県木更津を出発。反乱部隊に見つからぬよう太平洋上を遠回りに飛行しながら、中継点の沖縄・伊江島を目指した。念のため、おとり機も九州へ飛ばした。

 ところが伊江島上空で1番機の油圧装置が故障し、減速用のフラップが動かない。空中で旋回していると、下にいる米軍が無線で「怪しい動きだ、撃つぞ」と警告してきた。伊江島の滑走路は約1キロと短く、その先は断崖だ。なんとかぎりぎりで着陸した。

 ここで軍使一行は米軍機に乗り換えてマニラへ。米軍が進駐する日程と手はずを取り決め、伊江島に戻ってきた。

 ところが20日夕に飛び立つ段になって、2番機が故障。一刻を争うため1番機のみで先に戻ることになり、太平洋の沿岸伝いに飛んだ。それが今度は紀伊半島上空に来て、燃料切れが判明したのだ。

 月明かりの下、熟練の機長が操る1番機は静岡県磐田市の天竜川河口に不時着。使者一行は搭乗員に負われて浜へ上がり、住民の助けを得て21日、やっと東京へ帰った。

 とはいえ米軍が進駐先に指定したのは、例の反乱部隊がいる厚木飛行場である。南方でかかったマラリアの発作で錯乱状態の基地司令を取り押さえたり、作業員250人をかき集めて豪雨の夜中に飛行場を片付けたりと、まさに時間との闘いだった。

 結局、台風の影響で米軍進駐の予定は2日ずれ込み、先遣隊の到着は28日に。マッカーサーがパイプを手に降り立ったのは30日だった。

 降伏機が相次ぐトラブルに見舞われた理由は、給油時の確認ミスなどが指摘されてきた。だが搭乗員の中に所属不明の人物がいたとの証言もあり、今なお昭和史の謎となっている。 (編集委員)

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