平和台を創った男 岡部平太伝 番外編 平一の遺言 「理性的な社会」を希求 覚悟、苦悩、愛の告白も

西日本新聞 ふくおか都市圏版

 特攻隊で亡くなった岡部平太の長男平一は、日記を残していた。学徒出陣して海軍航空隊に入隊し、鹿屋航空基地(鹿児島)から沖縄に出撃する直前の1945(昭和20)年4月2日までの2年間に及ぶ。鹿屋で出会った瀬野(旧姓島田)キヨ子(92)に託された日記には、人生や世の中への思いが凝縮されている。

 入隊当初は、台北帝国大学の予科時代を振り返る記述が多い。

 「運動に明け暮れた3年間、何と人間味にあふれた人々だったろう」

 友情に恵まれた自らの環境についても「ヒューマニストの結合であった」とまで書いている。

 両親についての記述もあり、「父は依然、岡部平太なり」と誇らしげ。母ステについて「遠路はるばる来られた。楽しい面会であった」という一言に、思慕の念がにじむ。

 そして2月22日。

 「ついに神風特攻隊員となる。来るべき30日間が余の真の人生となるか。死ぬための訓練が待っている。美しく死ぬための猛訓練が-」

 この後は、哲学的な記述が増える。

 「自分は一個の人間である。善人でも悪人でもない。偉人でもなければ愚人でもない。あくまで一個の人間である。最後まで人生をあこがれの旅に送った漂泊者として、人間らしく、ヒューマン・ドキュメントと諦めのうちに終わりたいと思う」

 国家を率直に批判していることも特徴的だ。

 「雑音の多すぎる浮世であった。たった一人の偉大なる指揮者がいなかったために、ついに喧騒(けんそう)極まりない社会を現出したのであった。もっと理性的な落ち着いた人間社会が建設されなければならぬ」

 決意と苦悩に揺れる姿も垣間見える。

 「われらは喜んで国家の苦難の真っただ中に飛び込むであろう。常に偉大な祖国、美しい故郷、強い女性、美しい友情のみの存在する日本を理想の中に確持して敵艦に粉砕する」

 「青春は華々しいものか、楽しいものか、また、悲しいものなのか、あるいは寂しいものなのか。自分にはわからない。やはり寂しいといえば寂しい人生であった」

 4月2日、日記は平一が人知れず愛した人に向けた言葉で終わる。

 「1人の人間に真に愛されていることを意識し、信ずれば男はこんなにも強くなるものか。人生の最後の5日間は本当に幸福であった。『愛する』という言葉、言葉はやはり真実を伝えうるものではなかったか」

 4月12日、平一は神風特攻第二「七生隊」として出撃した。享年22歳。

 平一は特攻の直前、「後のことは頼みましたよ」という言葉を遺(のこ)した。それから74年が過ぎ、父平太の出身地、糸島市の母親と子どもたちが今月4日、平一をモデルにした平和劇「散りゆく桜」を上演した。

 =文中、写真とも敬称略

※小説「Peace Hill 天狗と呼ばれた男 岡部平太物語(上)」(著者・橘京平、幻冬舎刊、1,200円)が好評発売中

福岡県の天気予報

PR

PR

注目のテーマ